(2009)平成22316 No.2867 20092010年度(第31会報)

会員数 99名  出席者61名  出席率69.7%  前回修正出席率69.7

ビジター紹介(親睦活動委員会 荒井規雄委員長)

 朝信泰昌様(烏山ロータリークラブ)三原渡様(ゲストスピーカー)

会長挨拶(久保井一臣会長)  

  (株)NHK文化センター東陽町支社支社長三原渡様のご来訪を歓迎申し上げます。

 

  3月13日(土) 宇都宮90ロータリー・クラブ創立20周年記念式典/宇都宮東武ホテル

  グランデ に岡崎幹事と出席して参りました。

 

  ホテルの新担当者 根本さんから就任の挨拶があります。

 

ロータリー情報(舘野弘一副委員長)

 毎週例会の中で古い会員の方々にかつての宇都宮ロータリー・クラブはどんな状況だったのだろうかとお話を伺ってきております。藤井さんア尾さん石島さんの入会当時のロータリークラブのお話を戴いております。今回私の番です。私の入会は1972年です。宇都宮ロータリー・クラブ創立は1952年です。創立20年経った頃の入会です。1972年度の現況報告を見ますと初代ロータリークラブ会長の江部順治さんも出席されておりました。その方は当時90歳でした。その江部さんが70歳の時初代の会長で、幹事は横倉さんでした。金谷ホテルの社長さんは当時86歳でした。日光から毎週例会に出ていらっしゃいました。1972年出席率は92.3%です。現在のクラブ出席率は70%です。1952年から現在まで当クラブから5人のガバナーが出ています。金谷さん、滝沢さん、坂本さん、宮崎さん、近藤さんです。宇都宮東ロータリークラブは3人、宇都宮西ロータリークラブも3人、宇都宮北ロータリークラブは1人ガバナーがでています。宇都宮ロータリー・クラブは県内から集まった名士のロータリアンによって作られたという名誉あるクラブだという事を申し上げて本日のロータリー情報とさせて戴きます。

幹事報告(明賀一博副幹事)

 1984年から2008年まで24年間当宇都宮ロータリー・クラブの会員でありました横堀先生がお亡くなりになりました。詳細につきましては、皆様ご確認をお願いいたします。

親睦活動委員会(荒井規雄委員長)

 沖縄親睦旅行は17〜18名の参加になっております。まだまだ今週末まで日にちがありますので、ふるってご参加お願いします。

森木田進会員

 今回の人事異動で愛知県の豊橋支店に転勤になりました。宇都宮ロータリー・クラブに1年半お世話になりました。向こうでは豊橋ロータリークラブに入らせて戴きたいと考えております。

ニコニコボックス委員会(三原靖委員)

三原渡様:宇都宮ロータリー・クラブの皆様と親しくお話をさせて戴き感謝いたします。

     又つたない話を聞いていただき有り難うございました。

プログラム委員会(大島勉委員長)

 皆様今日は。今日のゲストを紹介いたします。三原渡さんです。NHKの元アナウンサーです。NHKに入ったのは私と同じ昭和52年です。その後、彼は地方を回った後東京に戻りましてスポーツ系の仕事を担当しました。スポーツ中継が一番の仕事だったと思います。オリンピックは長野を含めて6回しています。今はすでにNHKを定年退職しましてNHK文化センターというカルチャー教室をしている関連会社の東陽町支社長をしています。彼の経験からしますと、スポーツ中継についての話が一番良いかなと思いまして頼みましたところ「スポーツ実況中継ウラ話」という題で話をしてもらいます。

卓話「スポーツ実況中継ウラ話」 

NHK文化センター東陽町支社 支社長 三原渡様

 皆さん今日は。三原と申します。今ご紹介を賜りまして本当に有り難うございます。大島NHK局長が現役で仕事をいているにもかかわらず、何故同期の私がすでにOBになってしまっているのか、もう皆さんお分かりですね。私は、大学が好きで勉強が好きで、入るのに余分に1年かかり出るのにも1年余分にかかりました。俗に言う一浪一留というものでして、それでNHKに入りましたので実は2年大島局長よりも年上です。従って早く卒業しました。こうして皆様に又お話を聞いていただける様な立場になったという訳です。私は今ご紹介にありました様にNHKの主にスポーツアナウンサーとして仕事をして参りました。私は昭和27年生まれで、なんと宇都宮ロータリー・クラブと同じなんですね。先ほどお話を伺いましてびっくりしました。非常に伝統と格式のある宇都宮ロータリー・クラブにお招きいただきました。本当に今日は有り難うございます。身の引き締まる思いでお話をさせて戴きたいと思います。スポーツという事で大体ありがちなタイトルですが、「スポーツ放送ウラ話」ウラなんて無いんですが、裏も表も無い中で何故スポーツの仕事をしたのかという事を聞いて戴ければと思います。皆さんバンクーバーオリンピックをご覧になったかと思います。私は冬のオリンピックに3回行きました。1つはフランスのアルベールビルオリンピック、次にノルウェーのリレハンメルオリンピック、そして長野オリンピック。夏のオリンピックは、ソウルオリンピック、バルセロナオリンピック、アトランタオリンピック、夏冬合わせて6回の放送に関らせて戴いた経験を持っています。何故「スポーツアナウンサーになろう」と思ったのかという所から話そうと思います。アナウンサーになって一番難しい仕事をしたいなと思いました。良く見ていますとスポーツアナウンサーは2時間も3時間も原稿無しで話していました。スポーツアナウンサーは難しそうだなと思いました。それから甲子園などの球場でチケットを買わないで入れて良いなと思いました。その様な思いがありスポーツアナウンサーになろうと思いました。非常に単純でしたね。もう一つ気に入った事がありました。テーマ音楽が鳴ると2〜3時間は自分のものになるんですね。生放送が始まったら自分一人で仕切る事が出来る。こんなに嬉しい事は無いんですね。「放送を独占できてしまう」そういう所で働いてみたくなりました。ただ私は、喋った事も無ければ本格的にスポーツをした経験が無い人間がスポーツアナウンサーをしようというのですから大変です。しかし経験した事が無い、例えば馬に乗った事が無い人が競馬は喋れないじゃないか。その様な理屈は無いんですね。どのような人でも頑張れば出来る、この様な理屈で始めたわけです。最初は本当に大変でした。「ピッチャー第1球投げました。打ちました。」が基本なのですが、中々言えませんでした。そこで野球場へ行きました。NHKは最初地域に行きます。地域に行って仕事をする上で大切な事は地域の皆さんのお役に立つ事です。したがってニュースやリポート番組、全国へ中継を出す、これが一番の仕事です。聞いた事もない地域の高校野球は、聞きたくない訳ですから勉強をするのはそういう仕事が無い時、土曜日や日曜日に野球場へ通い「ピッチャー第1球投げました。」と稽古をしました。勿論野球場だけではありませんが、その様なところへ5〜6年通い詰めました。スタンドで「投げました、打ちました」と稽古をしていますと中々恥ずかしいものであります。私は山形が初任地でした。山形県野球場という所で明けても暮れてもやりました。「ピッチャー第1球投げました。打ちました。良い当たりです。レフトへ行きました。レフトへのフライ。レフトが捕りました。」と良く喋れたなと思っていましたら、「兄ちゃん!違う。ライトだ。」と言われたりしてスタンドの皆さんからご指導を戴いたりしました。でもそうやって皆さんに声を掛けられるのは、全然恥ずかしくないのですが喋るという事は恥ずかしかったです。私は、そこでスポーツアナウンサーとしてお給料をもらうにはこの恥ずかしさに耐えなければならないと思いました。この事はどの職業にも通じると思います。営業の第一線で「こんにちは」とクライアントに挨拶をします。おそらく、ためらう気持ちがどこかにあると思います。この気持ちは、私がスタンドで感じた気持ちと共通するものがあると思います。勇気を奮って何を言われようと喋らなければならない。放送に出るというのは、その様な恥ずかしさと自分の気持ちには合わないと思う部分を乗り越えていかなければ、プロにはなれない境目だと感じました。色々試行錯誤するのですが、ある時やっと気がつきました。高校野球を例にとってみますと地域の1回戦2回戦を実況しても上手にならない。どういう事かと言いますとピッチャーのコントロールです。野球の中継が上手くなるかならないかは、ピッチャーのコントロールつまり野球のレベルが高い試合を中継しないとスポーツアナウンサーも上手くならない。球が何処に行くか分からない、つまりバッテリーの間に意図が無い、そういう野球を見ても上手くなりません。バッテリーの間に意図が有りその通りにピッチングができ組み立てられる、という試合を観て喋って初めてアナウンサーも上達するのです。野球が段々分かってくる、野球のレベルが放送のレベルを作るのです。そう思えばスポーツの中継は、予測と結果の繰り返しを皆さんに観たり聴いたりして戴いている訳です。こういう経験をしながらスポーツアナウンサーになっていったのであります。そしてようやく、甲子園に行きました。確か昭和57年春の選抜でした。緊張しました。不安になりますからデータを調べたり書いたり色々な場面を想定して眠れなくなりました。しかし何とか甲子園で踏ん張って次の夏の甲子園にも呼んでもらえ又その後も何度か呼んでもらい、私のスポーツアナウンサー人生がスタートしました。ここからの話は、少し堅くなりますがスポーツの中継で一つ厄介なことがあります。それはナショナリズムの問題です。国際大会になりますと6月から始まるサッカーのワールドカップもそうですが、常にナショナリズムと背中合わせで仕事をしなければならないという難しさがあります。どちらかと言えば私達はナショナリズムの取り扱いに関しては慎重でありたいと思っています。ですから、日本が金メダルを取ってもむやみに喜ばないのは、仕方ないというような事を自分自身にも言い聞かせてやってきたつもりです。さりとて日本人の選手が活躍する事を嬉しくないと言う訳ではありません。そこの所を上手く表現しなければなりません。その狭間で揺れます。私はリレハンメルオリンピック複合の団体戦で金メダルを取った時には、実は極めて抑制的に中継をしました。今でも夢を見ます。もっとやればよかったと。それ程抑制してしまいました。しかし大会によって時代によってその抑制は、緩くなっています。ただ日本人ほど自分の国のメダルの色に対して抑制的な国は珍しいと思います。アメリカやフランス、あのクールなドイツでさえも自国のメダルに対しては非常にあっけらかんと喜びます。フランスのアルベールビルのオリンピックに行った時には、毎日トップで「今日フランスは金メダル〜個、銀メダル〜個獲得した」と伝えていました。少しシニカルに構えそうなフランスが、それ程メダルに興味を持っている事に実は意外でした。意外でしたが、ある日からその表が出なくなりました。「どう言うこと?」と通訳に聞きましたところ、ある新聞記事を翻訳してくれて「メダルに余りにこだわり過ぎている報道姿勢になっていないか」という事でした。それでトップで伝えるのを止めたそうです。なるほど、フランスだなと思いました。やはりフランスも揺れるのだなと思いました。それでも日本よりはあっけらかんとメダルを喜んでいます。今IOCは色んな種目を増やしています。一つはアメリカのスポーツメーカーを喜ばせる商業主義。もう一つは世界中にマーケットを確保する狙いがあります。例えばこの間ショートトラックで韓国や中国がメダルを取りました。又夏のオリンピックではバドミントンが種目に入って初めて女の子が金メダルを取りました。IOCはそうして金メダルを細かく分けて世界中に均等に行き渡るような政策を取っています。マーケットとして考えています。各国のナショナリズムの高まりとの間を上手く渡り歩きながら商売しようと考えているのが今のオリンピックの現状でないかと思います。私はスポーツアナウンサーを長年やっていまして、こんな人がスポーツアナウンサーの条件ではないかなと思います。先ず、第一はスポーツが大好きだという事。二つ目は記録が好きという事。スポーツは記録と切っても切り離せません。その記録を見る或は記憶するのが好きな人が向いているのではないか。三番目は、何が大切なのか瞬時に判断できる人。実はスポーツ中継はそういうものではないかと思います。四番目は人間が好きな人。スポーツをするのは人間です。人間のドラマがあります。そのドラマを伝えるのが好きな人間がスポーツアナウンサーをする事が出来るのではないかと思います。そして五番目は誰がなんと言おうとバカになれる人がスポーツアナウンサーには向いているのではないかと思います。何せ人前で大きな声で喋る訳ですから、これ程恥ずかしい事はありません。その恥ずかしい事を憶面も無く出来る厚かましさが無いとできない気が致します。いずれにしましても色んな人に巡り合う事ができるスポーツアナウンサーに非常に感謝しまして今日ここに立たせて戴いています。今日は本当に有り難うございました。

(3月)識字率向上月間

   16日 スポーツ実況中継ウラ話

         三原 渡さん       元NHKアナウンサー

   23日 宇都宮牛について

         宇梶光男さん       JAうつのみや 和牛肥育部会長

   30日 未定

         伊矢野忠寿さん      不動産鑑定士(鹿沼RC

会報委員 徳永 昭一 会員

写  真 森木田 進 会員

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