(2009)平成22年5月11日 No.2874回 2009〜2010年度(第38会報)
会員数 95名 出席者62名 出席率75.8% 前回修正出席率76.8%
MU会員 矢嶋昭司会員
ビジター紹介(親睦活動委員会 荒井規雄委員長)
音羽和紀様(ゲストスピーカー)
会長挨拶(久保井一臣会長)
オトワレストラン音羽和紀様のご来訪を歓迎申し上げます。
宇都宮ロータリー・クラブ椎貝敏夫会員ガご逝去になりました。謹んでお悔やみ申し上げます。
黙祷
近藤パストガバナーが無事帰国されました。後日ご報告をいただきたいと思います。
近藤PG挨拶
近藤パストガバナー 2010年規定審議会報告
皆様こんにちは。5月2日に戻って参りました。内容につきましては机の上にまとめたものを置いております。改めまして皆様に詳しくご報告申し上げたいと思います。内容的にはかなり厳しい議論がありました。全案件220件、その内66件が採択されました。次回詳しくご報告する予定です。
誕生祝(親睦活動委員会 荒井規雄委員長)
柴田彰夫会員 片山辰郎会員 藤井昌一会員 上野泰男会員 鈴木重男会員 稲野秀孝会員
阿部欣文会員 金子昌郎会員 近藤髣コ会員 荒井規雄会員 山裕樹会員 加治康正会員
結婚祝(親睦活動委員会 荒井規雄委員長)
柴田彰夫会員 飯村悟会員 徳永昭一会員 鈴木重男会員 小針直哉会員 山裕樹会員
奥様誕生祝(親睦活動委員会 荒井規雄委員長)
山法子様 篠崎久枝様 早津志津恵様
幹事報告(岡ア善胤幹事)
本日11時15分当ホテルのオアシスで宇都宮ロータリー・クラブ第11回理事会を開催致しました。期首会員数96名(名誉会員2名)、5月1日現在会員数96名(名誉会員2名)です。第2回クラブフォーラムについて5月25日(火)17時30分例会点鐘、17時45分からクラブフォーラムという事でご案内させて戴いており、本日の理事会で決定させて戴きました。パスト会長会議が6月4日6時から開催されます。本年度最終クラブ協議会が6月22日に決定しました。
荻山猛彦会長エレクト報告
5月9日地区協議会がありました。本日関係の委員長さんのボックスに地区協議会の資料を入れておきましたのでお帰りの際にお持ち下さい。
ニコニコボックス委員会(柴田彰夫副委員長)
誕生祝:柴田彰夫会員 阿部欣文委員 近藤髣コ会員 金子昌郎会員 稲野秀孝会員
荒井規雄会員
結婚祝:阿部欣文会員 辻博明会員 柴田彰夫会員 喜谷辰夫会員 飯村悟会員
小針直哉会員 徳永昭一会員
奥様誕生祝:早津次彦会員
笠原純会員:5月1日付の異動で新潟へ行く事になりました。GWをはさんでいたため皆様に
直接異動のご挨拶が出来なかった事をお詫び申し上げます。
宇都宮ロータリー・クラブの皆様には短い間でしたが公私共に大変お世話になりました。皆様のご多幸をお祈り申し上げます。
GIJテーブルミーティング残金
プログラム委員会(大島勉委員長)
皆様こんにちは。今日のゲストはオトワレストランのオーナーシェフであられます音羽和紀様です。音羽さんは、昭和22年生まれで大学を出た後、フランスやドイツで修業され昭和56年に最初のレストランをオープンさせます。その後もレストラン経営を続けられ現在は
卓話「出逢いはひらめきの時、創造の時」
オトワレストラン オーナーシェフ 音羽和紀様
皆さん、こんにちは。音羽でございます。ちょうど3年前にお店を出す時に作成したDVDを見て戴きました。改めてこういうのを見ると、小さい頃から自分は「こうなりたい」と思い続けて生きてきたんだ思います。料理の修業、外国に行きたいと思った事、地元で何かやりたいと思った事、全て想いを深く積み重ねて生きてきたのだなと改めて思います。親父の生まれは宮城なのですが、宇都宮の県庁に勤めていました。親父は、酒は一滴も飲みませんでした。残業も嫌い、直ぐに家に帰って来て庭木に水をやるそんな親父でした。しかし私は朝から晩まで修業、又は年中無休業と言っているのですが、おそらく片手で足りる位の日数しか一年間で休んでいません。「何処でストレスを発散しているんだ」とか「いったいお前はどうなっているんだ」とか言われますが、仕事を楽しんでいますし、やりがいもありますし、天職かなとも思っています。大学を卒業して最初の職場では、今は違いますが当時の環境では5年で一人前と言われる中、5年では足りず10年経たないといろんなシェフとお会いして相談しづらい、という雰囲気がありました。当時はこのまま30歳過ぎまで修業しないと外国へ行けないのかなと思いましたが、修業を始めて3ヶ月で、「やはり今年中(卒業した年)には外国へ行こう、どうせ大変なら直ぐに行った方が良い」と思い、外国へ行く決意をしました。1970年ですからルートが無かったのです。親父は公務員ですし、私はホテルにコネクションがありませんでしたので誰と話しても明快な答えが出ない状況でした。非常に大変でした。その中でフランスに行きたいと希望を持っていました。たまたま最初に行ったドイツのキールという街である人を通して行くことが出来ました。やり始めて6ヶ月経ちまして、これはどの様な事にも当てはまると思いますが、一人前になるのに30歳までは、帰れないなと思いました。一人前になるため30歳まで修業しようと自分の中で設定しました。ドイツのキールからケルンに移り、ジュネーブのホテルに行き修業を始めて丸3年経ち、ようやくフランスにたどり着きました。本当に充実した7年間でした。フランスでアラン・シャペルという方に出会いました。この方は三ツ星レストランのオーナーシェフで、国が認めるMOFと言う最高技術職人の認定を最年少で取った方です。ミシュランにも最年少で載りました。「料理界のダビンチ」と言われる方でした。この方の元で3年半働きましたが、私はその間一度も誉められた事がありませんでした。他の同僚も誉められていませんでした。無駄な話をしないのが当然でした。私が店を出してから商工会議所さん等にも参加させて戴き、その中で「誉めて誉めちぎって人を育てるのだ」と良く言われますが、それでいきますとアラン・シャペルは最悪の教育者だったのかも知れません。しかし私にとっては、世界一の先生です。アラン・シャペルは、人が見ていようがいまいが徹底したお客様志向でした。アラン・シャペルの元で修業させて戴いた事は自分の人生、今私がこうしてお店をさせて戴く中で大きな財産を戴いたと思いっています。又何故宇都宮に戻ってきたのかという事については、私は少なくとも自分は東京でやっていくのだと考えていました。修業中の27〜28歳の頃、何処の町や村に行っても、そこに住んでいる人々は彼らの町に誇りを持っていました。大人だけではなく子供も自慢します。ある時、彼らはその土地や空気や人も本気で心から誇りを持っているのだと気がつきました。自分は宇都宮を誇りに思った事が無かったので、これはまずいと思いました。これではいけない、田舎へ戻ろうとその時思いました。今もって彼らのようにはなれていませんが、その必要性を感じています。彼らの様に自然と思えるようにならないといけないと毎日思っています。そういう中で食に携わる者として、店を持ち始めて3年目位から、今でいう食育について考え始めました。都会だけではなく田舎でも食が乱れていると体で感じるようになりました。現在は、マスコミや国が食育の大切さを伝えていますが、1985年ごろから私の中では思いを巡らせるようになりました。食コミュニケーション・家族の食の大切さ、又、食の環境は10歳位までにキチッとした食のサイクルを作り上げるのが大切です。そういった事を含めて何とかしていきたいと思い活動しています。わずかな時間でしたが、私の話とさせて戴きます。有り難うございました。
(5月)
11日 出逢いはひらめきの時、創造の時
音羽和紀さん オトワレストラン オーナーシェフ
18日 スペシャルオリンピックスについて
喜内敏夫 スペシャルオリンピックス栃木会長 宇都宮南R/C
25日 夜間例会・クラブフォーラムのため卓話なし
会報委員 田中 彰 会員
写 真 徳永 昭一 会員
メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp
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