(2012)平成25122 No.3000 20122013年度(第27会報)

会員数 91  出席者 82名  出席率 93.4  前回修正出席率 64.8

 

会長挨拶(喜谷辰夫会長)

 本日は、宇都宮ロータリー・クラブの第3000回記念例会にあたります。今日の出席率は非常に高くなっております。天気の方も当初雪の予報でしたが、雪は降らずに先日降った雪も融け足元もしっかりしてきたと思います。先日の例会で、荻山さんの方から第1回目の例会はいつだったのかと云うお話がありました。60周年、そして本日の3000回例会を迎える事が出来たという事は、当クラブの歴史を長く積み重ねて来たなと思う次第です。私が入会したのが20年前1993年1月、第1例会で2053回例会でした。会場は、マスキンさんでした。1994年には、マスキンさんからロイヤルホテルへ会場が変更になりました。2005年東武ホテル・グランデに例会場が変更になりました。例会で一番印象に残っているのは、会報委員会をやらせて戴いた時、いろいろな方の話し方があるのだと感じました。それが私自身に大変勉強になりました。3000回を過ぎまして、これからも長く続いていく事になりますので、今後とも宜しくお願い申し上げます。

 

SAA(柴田彰夫SAA

 地区から来年度の委嘱状が届いております。齋藤一郎会員お願い致します。

 

会長(喜谷辰夫会長)

2013-2014年度2550地区補助金小委員会委員長という事です。齋藤会員、宜しくお願い致します。

 

SAA(柴田彰夫SAA

 続きまして、上野憲示会員へ米山功労賞の表彰状が届いております。

次に、記念ケーキに喜谷会長より強い願いを込めてキャンドルの火を吹き消して戴きたいと思います。ご準備の程お願いします。

 

ビジター紹介(親睦活動委員会 檜山真委員)

 森田美由紀様(ゲストスピーカー)金田優香様(NHK宇都宮キャスター)

 真下進様 小沢徳和様 伊藤久司様 西廣泰輝様(単身赴任の会 OB

 

SAA(柴田彰夫SAA

 宇都宮ロータリー・クラブが61年の歳月をかけて積み重ねた3000回目の例会を記念して、ここで乾杯を行いたいと思います。乾杯のご発声は、昭和29年1月7日入会 今月でロータリー歴59年を数えます宇都宮ロータリーの象徴藤井清会員にお願いします。皆様ご起立をお願いします。

 

藤井清会員

 増々の発展を記念して乾杯を致します ----乾杯----

 

インターアクト委員会報告(山裕喜委員長)

 いよいよ今週末1月26日、宇都宮女子高等学校に於いてインターアクトの認証式・伝達式が行われます。是非一人でも多くの会員にお越し戴けますよう、よろしくお願いします。同時にインターアクトのバナーが出来ましたのでお回し致します。ご覧ください。以上です。

 

単身赴任の会報告(山野裕律単身赴任の会 会長)

 単身赴任の会も今年で11年になります。これからも頑張っていきたいと思います。19日に新春コンペと新年会を予定しておりましたが、14日の雪が残っておりゴルフ場がクローズとなり延期となりました。仕切り直しで2月23日、『春よこいコンペ』&『早くこい親睦会』を開催致します。場所は宇都宮カンツリー、懇親会は明日香です。ファックスでご案内を申し上げます。皆様のご出席をお願いします。

 

ニコニコボックス委員会(畑剛司副委員長)

 結婚祝:片山辰郎会員

 快出席祝:佐藤行正会員 中村隆一郎会員 熊本勇治会員

 奥様誕生祝:中村隆一郎会員 佐藤行正会員

 関口快流会員:祝 3000回例会

 上野憲示会員:米山功労者表彰

 柴田彰夫SAA :本日は沢山のご出席をありがとうございます。今日は仏滅でしたので、朝テレビで星座占いを見ました。おうし座の私は最下位でした。これで上を目指すしかないなと思いました。あと半年宜しくお願いします。

 北出幸一会員:森田美由紀チーフアナウンサーの卓話を宜しくお願いします。

        宇都宮局の金田優香キャスターも陪席させて戴きます。

 単身赴任の会 OBの皆様より:

 

幹事報告(松井公彦幹事)

 先週の例会の時、―作次作戦― 会員に推薦者を紹介という作戦をご紹介しましたが、ファックス番号が間違っていたとの事です。ご紹介される方がいましたら、事務局にご連絡ください。本日の出席率は、90%を超えています。ありがとうございます。

 

単身赴任の会 OB

真下進様

 本日来られなかった方の消息についてお話します。

 栗原さんは、現在日本健康開発(財)の理事長さんです。三原さんは、現役です。岡さんは、現役ですが、たぐいまれなギターリストとして都内でその名をはせていらっしゃいます。都川さんは、東日本統括として大和ハウスで頑張っていらっしゃいます。富岡さんは、関電工の栃木支店長さんでしたが昨年副社長をされました。現在顧問をされています。佐々木さんは、グローバルメディアサービス・アーカイブでお仕事をされています。佐竹さんは、本日出張中です。薄田さんは、インフルエンザのA型にかかりまして欠席です。藤原さんは、お忙しく欠席されました。

 本日は、ありがとうございました。

小澤徳和様

 宇都宮ロータリー・クラブ3000回例会心よりお祝い申し上げます。単身赴任の会は大変楽しかった思い出があります。今でも続いているという事は、誇りに思います。今、マレーシアの長期スティビザを取り夏と冬にマレーシアで年金生活を送っております。今後ともよろしくお願いします。

伊藤久司様

 本日は3000回と云う記念すべき例会に出席させて戴き、又ご一緒にお祝いが出来る事を大変うれしく思云っております。私は単身赴任の会2代目会長の伊藤です。10年前です。関口さんや森田さん達から大変ご理解ご支援を戴き、この単身赴任の会はスタートしました。思い出は、『街の先生』と云う事で小学校・中学校でお話をさせて戴きました。OB会は、東京に集まってやっております。一応、会則も作りました。現在13名おります。これからも宜しくお願いします。

西廣泰輝様

 3000回例会おめでとうございます。私は、東京電力に勤めていましたので3点ほどお詫びをさせて戴きます。1点は、放射能の件です。栃木の皆様にご心配をかけて申し訳ございませんでした。2点目は、電気の供給、値上げ、震災直後の電気の使用制限をさせて戴き申し訳ありませんでした。3点目は、後輩の支店長が宇都宮ロータリー・クラブをやめさせて戴きました。今後ともよろしくお願いします。

 

宇都宮ロータリー・クラブ

斎藤高蔵会員 ― 例会の思い出 ―

 私はロータリーに入会しまして37年です。26歳の時入会しました。当時、和気さんが会長でした。和気さんが最高齢で、私が最年少でした。入会した時は独身でしたが、4年後に結婚しました。ロータリーの会員現職で結婚したのは、私が最初でした。その後久保井さん、渡辺さんと何人かいらっしゃいました。例会場で結婚祝いをして戴いたのが一つの思い出です。1952年1月下野新聞社3階でスタートし、次に栃木会館のレストラン三笠、昭和45年から当社マスキンの4階、平成6年ロイヤルホテルそして現在に至っております。宇都宮ロータリー・クラブは、派閥が無く本当にフレンドリーな会だと感じております。この雰囲気はずっと続けて戴きたいと思っております。

一つ二つ思い出話をします。うちの親がロータリーに入っている時の会報は、ハガキでした。親が一生懸命夜自分でハガキの原稿を作って、例会の案内・会報をハガキで出していました。私は若くして入会しましたので、色々使われました。今でこそ事務局は充実していますが、当時は当然我々だけでした。受付は、足利銀行の女子行員さんにやって戴きました。会報も全部自分達でやっていました。最近になって家族会・クリスマス会がありますが、私も子供の頃よく出席していました。その様な方が又ロータリーに入会と云う事で一つの思い出になっております。現在もロータリーの出席は基本になっております。語り継がれている話としまして、チャーターメンバーの横倉さんが盲腸になりましたが、3日目位に例会に出席された豪快な方もいらっしゃいました。40周年の歩みを見ますと、村山金平さんが実行委員長さんでした。村山金平さんは、喜谷会長の義理のお父さんになります。これを読んだら面白い資料が書いてありましたので披露させて戴きました。どうも有難うございました。

斎藤幸一会員 ― 未来へ ―   (宇都宮ロータリー・クラブ最年少の会員)

 私は入会して1年10ヶ月が経ちました。印象に残った事は、東日本大震災の被災地気仙沼漁協にトラックを寄付した事です。宇都宮西小学校で、そのトラックに子供達がペイントをして凄く楽しそうでした。小学生達が近い将来に気仙沼に行って、そのトラックの絵は私達が書いたと話している姿を想像すると嬉しくなります。そのトラックに付いているタイヤは、私が手配したものです。次回気仙沼に行ってどの位タイヤが減っているのか調べるのが、凄く楽しみです。毎週行われる例会も楽しみです。自分は勉強会や講習会が好きなので、率先して行っています。良く考えて見ると、自分の好きな分野、趣味興味のあるところしか行っていませんでした。しかし、この例会では普通では会えない方々の話や、自分の中では全く別分野の話、その時点では興味のなかった話を聞く事が出来ます。どんどん視野が広がってきました。パナソニックの創業者松下幸之助さんの「視野を広く」と云う言葉を思い出しました。世の中は広い。その広い世の中を、狭い視野ですすめば行きづまる。人生は長い。その長い人生を、狭い視野で歩めば息が切れる。視野の狭い人は、わが身を処する道を誤るだけでなく人にも迷惑をかける。だから、お互いの繁栄のためにお互いの視野の角度を、グングン広げなければならない。十度の視野は十五度に。十五度の人は二十度に。もっとも、百八十度まで広げてみても、それでようやく物事の半面が分かっただけだから、本当はグルリと三百六十度を見わたさなければならない。それが、真の融通無礙、つまり解脱というものではなかろうか。だが、なかなかにこうはいかない。百八十度も広がればたいしたもので、普通はせいぜいが十五度か二十度ぐらいの視野で日々を歩んでいるのではなかろうか。だから争いが起こる。悩みが起こる。そして繁栄がそこなわれる。視野を広く。どんなに広げても広げすぎることはない。おたがいの繁栄と平和と幸福のために、だれもが広い視野をもつように心がけたいものである。と云う詩を思い出して、宇都宮ロータリー・クラブで、どんどん視野が広がっていくと思います。伝統のある宇都宮ロータリー・クラブの諸先輩方又他のロータリー・クラブの方、全ての関係者の方からどんどん学んでいきます。20年後の

4000回例会は57歳、40年後の5000回例会は77歳で元気に迎えたいと思います。もっともっと勉強をして次の世代につないでいきます。これからもご指導ご鞭撻の程宜しくお願いします。

 

プログラム委員会(酒井誠委員長)

 本日は3000回記念例会と云う事でNHKチーフアナウンサーの森田美由紀様にお越し戴いております。

森田美由紀様の経歴をご紹介致します。北海道札幌市のお生まれです。初任地は札幌です。「ニュース7」「ニュース10」等のメインキャスターを務め報道番組、NHKスペシャルETV特集のキャスターやナレーション、芸術劇場、小さな旅等を担当されました。1993年紅白歌合戦の総合司会も務められました。2007年には札幌局へ19年ぶりに異動され、2010年に又東京へ戻られました。現在日曜日の朝に「日曜美術館」と云う清々しい番組を担当していらっしゃいます。それでは宜しくお願い致します。

 

卓話「放送現場で思うこと」

          NHKチーフアナウンサー 森田美由紀 様

 ご紹介戴きましたNHKアナウンサーの森田美由紀です。こんにちは。今日は、宇都宮ロータリー・クラブの3000回記念という記念すべき場にお声を掛けて戴き大変光栄ですし、又緊張をしております。昨年60周年を迎えられたという事ですが、その60年と云うのは宇都宮大空襲後の復興の名残がまだ残っている頃でしょうか? そこから高度経済成長そしてバブル、バブルの崩壊、長い不況更に東日本大震災原発事故等色々な時代を経ていらして、その時々に皆さんは地域の為、困っている人の為に何が出来るのか知恵を出しあって実際に行動してこられ、そのバトンタッチの歴史が今日のこの3000回と云うところに繋がっているのだと思います。

更に、この3000回その場その場でこの様に卓話でお声を掛けて戴き、皆様の前で話をさせて戴く代々の皆さんの培ってこられた絆の温かさとか色々な力を得て忘れ難い時間を過ごし、なんらかの生活の糧にして過ごして来たのではないかと思います。私も今日皆さんの話を伺って「良いな!」年齢もお仕事も違う、その縦・横の絆が良い感じで、そして皆さんそれを楽しんで大事にして次に繋げようとしていらっしゃるこの「感じ」を、私の周りでも付き合いですとか輪とかをもっと培っていかなければいけないなと思いながらお話を伺っておりました。今日30分程お話をさせて戴くにあたって、プログラム委員長の酒井様から映像とかパワーポイントの用意は無くていいですか?と聞いて戴いたのですが、アナウンサーは音声表現者ですので耳で聞いて分かって戴き、又一度聞いただけで理解して戴かなければならないと云うのがアナウンサーの仕事です。本音を言いますとパワーポイントが上手く作れなかったと云うところもございます。短い時間ですが、お付き合いをお願いします。更にこちらにお邪魔するにあたりまして、「どんな話をさせて戴ければ良いのでしょうか?」「宇都宮の話ですとかした方が良いのでしょうか?」と云うふうに関係者を通して聞きましたところ、やはり宇都宮の話をしてほしいと云うお答えでした。実際私は、宇都宮へは数回お邪魔をしております。数回お邪魔をした事よりも、もっと深く印象に残っている事が有ります。

1994年、当時私は「ニュース7」の土日のキャスターを担当していました。現在後輩の小郷が担当していますが、「ニュース7」の土日を担当致しますとお昼と夕方と夜の関東地方のニュースも担当します。1994年の夕方のニュースだと記憶しているのですが、宇都宮駅前に餃子の像が設置されると云う記念すべきニュースを読ませて戴きました。「餃子の街として地域おこしをすすめている宇都宮の駅前に、今日餃子の像が設置されました」という事だったと思います。本文に入ったところで「1軒当たりの餃子の購入額が全国1位、市内に餃子専門店が30店舗もある宇都宮市は、餃子の街として地域おこしをしています。今日地元特産の大谷石を素材にして、

高さ1m60cm重さ1.7トンの餃子の像を設置する事になりました。何とかと云う人がデザインをしてその餃子の像は皮をまとったビーナスが微笑んでいる姿です」という様な原稿でした。下読みの時、様々な原稿の中にそれが差し込まれていて「う〜ん、餃子の皮をまとったビーナス?」これまで色んなビーナスを見てきましたが、一体どんなものなのだろうと下読みをしながら期待が高まっていました。時間がありますと映像とコメントを合わせてからスタジオに入るという事もありますが、その時は編集作業が間に合わなく私自身も他のニュースの下読みがあり、映像を見る事が出来ないまま本番のニュースに入りました。その短いリードを読みまして、私のコメントに合わせて映像が出てきました。白いトラックの荷台に餃子をまとったらしい女性の像がゆらゆら揺れながら駅の方に向かって行くという不思議な映像が出ていまして、横でデスクが「くっ!」と笑いをこらえているところで私も「いけない。真面目に読まなければ」と思いながら読みました。本当に何という遊び心と真面目さと、何と面白い事をやってしまうのだろうと強く印象に残っておりました。いつの日か実物を見てみたいと思っておりました。「新しい街のシンボルとして」とのコメントがありましたので「埋没しないでほしいな」と思っていましたら、いつの間にか全国的に有名になっていました。私も10年前のある時、番組の公開放送で宇都宮にお邪魔した時、駅に行きまして見ました。「あ〜、これだったのか?意外と控えめだな!大谷石は肌が粗いな!」と色々な事を考えながら長年の憧れの人に出会ったかのような感慨を覚えたのでございます。その後移設の為に壊れたというニュースに本当に驚きました。これはきっと何とかしてくれるだろうなと宇都宮の人に代わって新しい像の完成を願っておりました。今日は電車から降りて、すぐにお迎え戴いた車に乗ってしまいました。来るときは見る事が出来ませんでしたが、帰りには必ず二代目に挨拶をして帰りたいなと思っています。まちおこしで餃子とは大変素晴らしいです。つまり1軒当たり餃子の購入額が全国1位と云うふりがありますが、これは美味しい餃子を皆さんが食べれば食べる程その名声は続いていくという事ですよね。つまり無理せず楽しんでまちおこしを行っていると云うところで、餃子と云うのを一つのまちおこしに持ってきたのは地域おこしの原点だったのかなと感じます。

 私が生まれ育った北海道札幌市は、皆様が良く知っていらっしゃるのは雪まつりではないかと思います。行かれた方いらっしゃいますか?ありがとうございます。今年で64回目になります。そもそも始まったのは北国の長い冬、始まった頃は今よりはもっと寒くて雪も多かったのです。11月から3月又4月の初めまで冬と云ってもよい状態で雪に囲まれて過ごしました。そんな長くて憂うつで又雪かきも大変です。その雪を逆に利用できないか、克服して楽しめないか、今ですと利雪克雪という言葉を使う事があるのですが、身の回りに沢山あってほっておけば厄介物ですが、自分達の親しい雪で楽しんでみようと云う事で、現在は札幌市の中心大通り公園がメインの会場になっておりますが、その近くの学校の庭に生徒達がいくつかの雪像を作ったのが始まりだと言われています。それが楽しかったのですね。「来年はもっと大きいのを作ろう」「来年は私達も参加していこう」という事で気が付くともう64回目になっていました。今、世界各国からお客様がいらっしゃいます。雪まつりの期間中は、200万人を超える人達が札幌の街を訪れる様になりました。私も子供の頃から雪まつりは大好きです。途中離れる時期があるのですね!なんだあれ、観光客の為のもので私達のものではないじゃないかと云う時期がありました。又地元に住んでいますと変な都市伝説というのが出まして、受験生は雪まつりに行くと必ず失敗をする。滑ると云うところとかけているのではないかと思いますが、多くの学生達は一定期間雪まつりには行かないという様な不思議な習慣が出来ています。それも1回離れてしまいますと、なんて素敵なおまつりなのだと思います。地域の誇りと言いますか、私も先程ご紹介戴きましたが19年ぶりに故郷に帰りまして雪まつりを見た時に、やっぱり60年以上の積み重ねがあって成熟してきたおまつりなんだな!更に北海道ならではの美しいサラサラの真っ白い雪を固めて出来たからこそ自慢すべき雪像なんだ、これは矢張り続けていかなければならないと感じたりしていました。今では大きなお祭りになっていますが、やはり個人〃が無理をしないで自分の身の回りの雪を楽しもうと云うところが継続につながっていると思います。今も雪まつりの時期になりますと各学校の校庭や、それぞれの家の庭に雪だるまどころか中々凝った雪像が並んで、札幌の街も素敵な状態になります。街づくりも色々な形で展開していければ、それぞれの故郷も素敵になるのではないかと思います。私の後輩に磯野佑子という宇都宮出身の女性アナウンサーがいます。彼女が電話の打合せを横で聞いておりまして「美由紀さん宇都宮に行くのですか?」と聞かれ「ええ、行くのよ」と言いましたら「私宇都宮出身です。頑張ってきてくださいね」と言われました。「磯野ちゃん、宇都宮は何が自慢?」と聞きましたら「やっぱり餃子ですよね。文化祭の時には、餃子に付いてのレポートを書きました」と言っておりました。「それから二荒山神社かな。初詣といえば二荒山神社だし、良い所ですよ。それからまちおこしといえばジャズの街、カクテルの街もやっています」「楽しい事ばかりね」と云う話をしていました。更に「そういえばもしかしてとちおとめ、あれも栃木ですよね」と言いますと、磯野アナウンサーが「最近はもっと凄いのが出来ているみたいです」と云うのでホームページを調べましたら「スカイベリーですか?」まだ一度も口にしていませんが、新しいスターも育ってきているという事で皆さん楽しみながら全国に広めていって戴ければと思います。

本当に故郷と云うのは色々な意味で力を与えてくれる場所なのかなと思います。私自身札幌に生まれて北海道大学を卒業し、その年に実は就職が上手くゆかなく先行きが見つからず、実際は学校の先生になりたかったのですが先生になる前に5年なり10年なり社会勉強をして、それから教壇に立ちたいという思いがあり就職活動をしたのですが全部だめでした。多くの理由は殆ど私の力不足だったのですが、とても辛かったのは当時男女雇用機会均等法が無かった時代でした。1983年に卒業をしましたが、地方の4年生大学を卒業した女性というのは厄介物でした。女性は短大卒業の人達しか仕事が無かった、北海道にも女性の勤める所は無い、4年の夏に東京で就職活動をしました。資料が欲しくて会社に電話を掛けますと「どちらからですか?」と聞かれ、「札幌です」と答えますと「大学はどちらですか」と聞かれます。「北海道大学です」と答えると「すみませんが、女性の方は地元に限らせて戴いていますので書類はお送りできません」という窓口が殆どでした。4年制大学・地方という事、更に私は1年浪人をしておりましてそれを云うと「女性は現役に限らせて戴いております」という厳しい言葉がありまして土俵に上がれなかったです。それで何もない状態で卒業して親に迷惑を掛けないように、先生になりたいという目標は決まっているのでもう1年大学で研究生という形で卒業してからも通って、翌年に先生の試験を受けるしかないかと思いましたのでアルバイトを探していたらNHK札幌放送局でFM音楽番組制作スタッフ募集と字幕が流れました。私はあらゆるジャンルの音楽が大好きでした。そこで、番組を作るアルバイトでお金をもらえると云うので申し込みました。マスコミは就職の時一切対象として考えていませんでしたので、放送局に足を踏み入れたのも初めてでした。実際試験を受けに行きますと200人位同じ年代の女性がいまして、

FM制作スタッフというよりディスクジョッキーの募集でした。私は何の知識もなくカメラの回る前でマイクを持って自己アピール、更にFMのリスナーから寄せられるハガキを渡され「これを読んで下さい」と言われました。ハガキ・マイクを持つ手が震えて正確に読むのが精一杯という状況でした。やっぱりアルバイトなんて見つかるものでは無いとがっかりしながら家に帰りました。その夜NHK札幌放送局から電話があり「残念ながら音楽番組には雰囲気が合いません。今回採用を見送らせて戴きます。ただニュース番組で、夕方のニュースレポーターが1人交替する事になっておりますので、探しております。6時30分からのニュースで取材をしたりリーポートをしたり又時にはスタジオで原稿を読むという仕事をしてみませんか?」と声を掛けて戴きました。翌日カメラテストを受けに行って何故か採用になりました。それが今の私のNHKで仕事の始まりという事になります。その時担当したニュースのデスクの人に「本当に私で良いのでしょうか?全くマスコミのアナウンスの訓練をした事も無いですし又就職の時、4年制大学とか地方の大学とか浪人をしているとか、そのような事がマイナスになって力不足もあったのですが駄目だったのです」と話しやすいデスクだったので思わずそんな話をしました。「あんまり若いと困るんだよね。あまり若くて綺麗だと反発を買うから4年生卒業か主婦でも良いと思っていたんだよね」と言われました。「そうですか?北海道大学というので駄目だったんですよね」と言うと、「僕らは地元のニュースだからね。地元が好きで探してくれないと困るんだよ」と言われました。「じゃ、浪人については?」と言うと、「だって予備校時代の人脈だってあるだろう」と見事に私のコンプレックスだと思っていた事を一つ一つひっくり返してくれました。これからの仕事をとてもし易くしてくれたデスクでした。札幌放送局で1年目は夕方のニュース、翌年は夕方のニュースにナレーションが加わったり今で言うサンデースポーツとか東京の番組のレポーターとして全国放送に時々出させてもらったり3年目になりますと土曜日の朝のニュース、夕方のニュース、ナレーション、本当に色々な経験を一度にさせて戴ける環境になりました。3年目は本当に充実していたのですが、眠る時間が無い位忙しい時間でもあり自分の中でも先生になる前に色々な事を経験させてもらったし、そろそろ原点に帰ろうかと思っていた時NHKの方から地域ジャーナリストとして職員にならないかと声を掛けてもらいました。大変迷いました。先輩から先生は40歳になっても50歳になっても場合によっては60歳70歳になっても出来るかもしれないけれど、地域ジャーナリストとして1つの仕事をしっかり一ヶ所に腰を落ち着けて勉強する機会をもらうのは、今の貴方にだから北海道人のチャレンジ精神、開拓精神じゃないけれど試したらどうだ?と言われて初めてNHKアナウンサーと肩書きが付いたのが1987年の事です。北海道が大好きでしたし、私にとって東京は就職でとても苦い思いをした場所でもありますし、故郷での仕事に大変期待を持っていた時代で頑張っていましたが何故か翌年急に東京に移動という話が出てきました。森田君の故郷が大好きだという気持ちは分かるけれど、その故郷の中にどっぷり浸かって外から見たらどんなものだろう。又外から見たらもっと北海道の為に何が出来るか見えてくるのではないか、修行の意味も込めて2年でも3年でも良いから出来た方が良いよという事で東京に出る事になりました。1988年3月の異動でした。その時担当したのが松平定知アナウンサーと一緒の夜7時のニュースでした。同時にその前の時間帯の関東地方6時台のニュース、それの下読みをしながら7時のニュースの下読みもして番組に出8時45分からのニュース845という関東地方のニュースも担当、一度に3本のニュースを一日に読むという大変責任の重い仕事を与えられました。札幌時代もニュースを担当していましたが、メインは経験のある先輩のアナウンサーですので、政治・経済・事件・事故のニュースは先輩が読む、私は柔らかいネタが多かったです。当時、北海道は横路知事だったのですが「横路知事」とか「道議会では」と読むのは2ヶ月に一遍位で、殆ど羊の毛刈りとか豆の収獲とかそのようなニュースを読んでいました。それが急に東京へ行きレーガン大統領、竹下総理大臣、又当時リクルート事件のおきた年でしたのでそういったニュースを堂々とわかっている様にお伝えしなければならない、本当に心配でした。報道の場所は大変お多くの人が携わっています。その人達が東京のニュースになりますとニュース7に1つ出すのにしても毎回100人を超える人達が携わっている形になります。その様な人達一人一人が、なんでも聞いて頂戴、聞いてくれないと分からないし分からないまま放送に出てはいけないからと云う事で、面倒がらず教えてくれました。更にこれまでのニュースの原稿の束を持って来て3月の移動から放送までの2週間の間に色々な事を教えてくれました。関東地方のニュースも担当するという事で何分にも関東一都六県の場所もよく分からない状況でしたので、当時首都圏を担当していたデスクが偶々札幌でもお世話になっていたデスクでしたので、そのデスクが週末ごとに電車で一都六県の放送局に連れていってくれ色々教えてくれました。その時初めて宇都宮にもお邪魔しました。そうして周りのスタッフが助けてくれました。衣装・メイクそれも最近女子アナと云うとどの様に映るのか、どれだけ綺麗な人がやっているのか、皆さんそちらの方に重さを置いている報道のされ方をしているのですが、当時はそれほどではありませんでしたが、やはり華やかな人のイメージがあったと思います。私の場合北海道でのレポーターの仕事は、薄給でしてブラウスは1980円まで、スーツは高くても9800円を超えてはいけない位の感じで苦労して服を選んでいました。更にメイクもテーマ音楽がなっているところに手ぐしで入っていって入口に置いてある粉白粉をたたいてテーマ音楽が終わった瞬間に澄まして挨拶をすると云うので終わらせていました。身近な隣のお姉さんと云う感じで札幌・北海道の視聴者の皆さんに入っていく事が出来た親しみを持ってもらえていたと云う部分があったのですが、東京ではそうはいかない。番組がスタートする前に内部的にオーディションというのを一回作ります。新年度はこの人がこんな感じでやりますと云う本番と同じ形のものの試験番組を作ります。そのオーディションの時にメイクに行って来て下さいと言われ、メイク室に行きました。二人が私の為に待っていました。「森田さんどの位、時間がありますか?」と聞かれ「15分位あります」と言いましたら「森田さんメイクをするのに1時間かかります」と言われました。一人はヘアースタイル、もう一人は顔のメーキャップをする人で1時間かかりました。出来上がった自分の顔は、これまで見た中で一番綺麗でした。衣装は大原麗子さんの衣装を担当していた人が私の担当でした。いよいよデビューになり放送を続けました。準備された衣装はなんだか沈んで見える、これまでメイクを余りしなかったのと東京の湿気のせいでどんどん肌が酷い事になっていきました。朝起きると皮が一枚めくれる位のひどい状態になってそれを隠すために厚化粧をしなくてはいけない、どんどん仮面の様な自分になってゆき辛いなと思っている所に某週刊誌の新年度女子アナ採点表が出まして、その年度にデビューした民放各局のアナウンサーの採点表が出ました。読み方・インタビューといろいろな項目がありました。読み方・インタビューはA・Bを戴いたのですが、センスはDでした。気持ちが沈んできました。札幌から送り出してくれた諸先輩もダメだったら帰ってきても良いよと言ってくれましたので、この辺でダメかと思っていた時国鉄民営化で北海道を離れた人達が日本各地に移動しその方達からお手紙を戴きました。「テレビを見たら夕方のニュース・夜のニュースにも森田さんが出ていてとても嬉しいです。私達も頑張ろうと思います」と。でも私は心配事を抱えているとどんどん目が窪んで痩せていくし顔は仮面のようになっていくしそれを心配する声も色々送られてきました。本当にこれで終わりかと思った時、母から一通の手紙が届きました。中に押し花がありました。貴方は、北海道のジャガイモよ」と書かれてありました。その時私は民放など他の局や番組の人達と同じ様に華やかで特別なものにならなければいけないと思いこんでいたようですが「今の自分で良いんだ」と思いました。気が楽になりました。それからは衣装も似た年代のスタッフに相談して決めメイクも上手くはないのですが自分の肌に合うのを選んで研究をしながら大分自分に戻ったかなと云う感じがして気が楽になりました。仕事も少しずつ、日を重ねていくにつれて徐々にネットワークもできスタッフとの信頼関係も築く事が出来て大変面白くなりました。気が付くと19年間、2年のつもりでいた東京に19年間過ごしていました。そして故郷に戻った時、ここが私の場所だったのかも知れない。更に故郷から発信してもらう事、離れている人達に故郷から何かメッセージを送り続ける事、見守っている事、それがどんなにか生まれ育った人、そこに関わりを持った人達に大事なのかという事も改めて感じました。今皆さんがなさっている事も多分そういう事だと思います。ここで生まれて育った皆さん、そしてここでお仕事を通して過ごされた方、今宇都宮・栃木と云う故郷を離れて頑張っている人達にとっても、背中を押してくれる何かそれを皆待っていると思います。今日ここにいらっしゃる皆さんもそのような意味では、故郷を大事にしている皆さんだと思います。これから4000回の記念講演迄20年ぐらいでしょうか?それまで今活躍の方、これからバトンを受け取る方、どんなメッセージを発信していらっしゃるのでしょうか? 私も皆さんに負けない様に放送を通じて又教育の現場・研修センターと云う所でコミュニケーションを教えたりしていますので、そうした場所で色々な事を伝えていければと思っています。本当に今日は、つたない話で申し訳ありません。どうも有難うございました。

 

会長謝辞(喜谷辰夫会長)

 森田様、今日は大変ありがとうございました。ご自身の経験から又宇都宮に関しまして特に脇でお話を聞いていまして日本語を話す言葉が美しいなと感じておりました。今私自身も若い人達のはなす言葉を聞いておりますと、日本語もどんどん変化しているのかと感じます。ただ森田さんの話を聞いていると落ち着いてほっとします。チーフアナウンサーという事でこれからも後輩の指導をされると思います。日本語を正しく伝える又色々な物事を上手く伝える見本となるNHKの放送だと思いますので是非これからも頑張ってレベルの高い仕事をして戴ければ本当に嬉しいなと思います。本日はどうも有難うございました。

------------------- 今週の食事 ----------------------

 

オードブル スモークサーモン季節の野菜仕立て

スープ   コーンポタージュ

メイン   牛フィレ肉のグリエ(わさび風味)

ロールパン(バター)

デザート  会長の熱い願いのこもったケーキ

コーヒー

 

《卓話》

【2013年1月】

 22日 「放送現場で思うこと」(3000回例会 記念卓話)

      森田美由紀様     NHKチーフアナウンサー

 29日 「清水建設 新本社ビルと匠の技」

      阿部義春会員     清水建設梶@関東支店 栃木営業所 所長

【2月】

5日 「人生へのチャレンジ」

      松本 育夫様     栃木SC シニアアドバイザー

12日  会員卓話

19日  会員卓話

26日  未定

      藤井 大介様     下野農園

会報委員 善林 隆充 会員

写  真 飯村   悟 会員

 

メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp

下記URLをクリックすると会報バックナンバーが表示されます
http://www.u-rc.gr.jp/kaihou/web3.htm