(2013)平成25917 No.3032回 20132014年度(第11会報)

会員数 93名  出席者  72名  出席率 83.9%  前回修正率 76.3

 

ビジター紹介(親睦活動委員会 畑剛司副委員長)

 鈴木秀明様(宇都宮90ロータリー・クラブ) 奥本雅之様(新入会員)

 

新入会員紹介 (田部井純会員)

 新入会員の奥本雅之様をご紹介致します。昭和40年生まれ、東日本電信電話蒲搦俣ネ木支店長さんです。浅野支店長のご後任です。6月20日の異動です。推薦者は、矢嶋昭司会員と田部井純私です。ご家族は奥様とお子様です。滋賀県のご出身で、前任は東京本社です。それでは、宜しくお願いします。

 

奥本雅之(おくもと まさゆき)様

 東日本電信電話梶@理事栃木支店長

 ご家族:奥様 ご長男様

 趣 味:ゴルフ ドライブ

 推薦者:矢嶋昭司会員 田部井純会員

 所 属:クラブ会報委員会

 

幹事報告(町田卓大幹事)

 地区から、国際ロータリー青少年交換留学生2014-2015年の募集がきております。資格は、県内高校に在学している高校1年生・2年生の男女です。派遣国は、アジア・アメリカ・ヨーロッパ、派遣先は委員会で決定します。応募されるご子息さんがおられる方は、熊本委員長にお伝えください。

 来月の例会が多少変わっておりますので、お伝えいたします。10月6日に地区大会本会議が有ります。日曜日が例会となります。その後の10月8日(火曜日)は、振替で休みとなります。

10月22日(火)例会は、夜間例会となり昼の例会はありません。内容は、クラブフォーラムでその後懇親会となります。こちらの案内は、10月1日(火)の例会終了後にファックスで再度ご案内いたします。是非とも間違いの無い様、宜しくお願い致します。

 

ニコニコボックス委員会(久楽晋司委員)

 誕生祝:峰村博明会員

 快出席祝:阿部義春会員 門田見岳史会員 田嶋久登志会員 町田卓大幹事

 奥様誕生祝:峰村博明会員

 

ロータリーミニ情報(ロータリー情報委員会 舘野弘一委員)

 本日は、ロータリーの綱領についてお話を致します。ロータリーの綱領の目的は、奉仕の理想を鼓吹育成する事とてんにゅうする事は、皆様ご存知の事と思います。その奉仕の理想を推進する為のロータリー活動に必要な事は、親睦と奉仕です。その為、親睦と奉仕こそロータリーの奉仕活動にとって最も大切な車の両輪であると云われています。ロータリーの第一に奉仕の機会として、知り合いを広める事と定義をしています。親睦が先ずロータリーの奉仕の理想推進の基本と云っています。例会における親睦こそがお互いに奉仕の心の理解を深め、職業奉仕・社会奉仕・国際奉仕・新世代奉仕の奉仕活動が各奉仕委員会を通じて積極的に行われるようになるという事です。しかし親睦と奉仕の両輪は、会員の皆様の出席が無ければ成り立ちません。会員の皆様の出席があって、初めて親睦が深まり奉仕活動が活発に推進されるという事になりますので、会員の皆様には出席の交情が大切であるという事を認識されまして、クラブの出席率の向上に貢献して戴きたいと思います。親睦は、例会・地区大会ゴルフ大会・地区大会に出席する事によって更に親睦を深めます。クラブフォーラムの出席も親睦を深め奉仕を深める事になります。本日の出席は大変良くて、ロータリー情報委員会として感謝申し上げます。

 

プログラム紹介(プログラム委員会 北出幸一委員長)

 先週の金曜日、藤井会長さんの藤井産業さんスマートフェアに行って来ました。マロニエプラザが非常に賑わっておりました。「インベーダーの省エネ技術」と云うのが有りました。間違いました「インバーターの省エネ技術」でした。藤井産業さんは、インベーダー迄挑戦しているなと思いました。プログラムを良く見ているとインバーターでした。

 本日は、会員卓話です。文星芸術大学付属高等学校校長の上野憲示会員です。上野先生のお話だけに、上の話だと思います。タイトルは「陶磁の東西交流 柿右衛門とマイセン」です。上野先生が、直々に磁器のお話をされます。宜しくお願いします。

 

卓話「磁器の東西交流〜柿右衛門とマイセン〜」

              文星芸術大学付属高等学校 校長 上野憲示会員

 皆様がご家庭でご愛用の、マイセン・ヘレンド・ロイヤルコペンハーゲン・ロイヤルクラウンダービー等、ヨーロッパの高級食器は、実は日本の有田の焼き物、伊万里や柿右衛門と強い絆でつながっています。

 昨今、ジャポニスムと云う言葉のもとに、幕末から明治維新にかけての日本の浮世絵の影響が喧伝されていますが、さらにもう一時代早くにジャポニスム現象が指摘できるのです。江戸時代前半17世紀後半から18世紀前半にかけて、日本の有田の焼き物が鎖国中でありながらヨーロッパに輸出されて王侯貴族達が好んで蒐集するところとなりました。そしてこれが呼び水となり、ヨーロッパでも石から作る焼き物・磁器の生産が始まり、その流れがのちにマイセン等の名陶を育んだのです。

 栃木県には、陶芸の町益子が有りますが、制作の殆どが粘土から作った陶器です。皆さんのテーブル上にあるコーヒーカップは、石から作った磁器で、白い肌の薄くて硬い焼物です。磁器生産の本拠地は、本来、中国景徳鎮ですが、その中国景徳鎮で造ったものがオランダの東インド会社の仲介で早くからヨーロッパにもたらされ、王侯貴族達に熱狂的に迎えられて、多くがそれぞれの宮殿に飾られていました。ある時、ひょんなことからその中に日本の焼物が食い込んでいくのです。というのは、17世紀前半、中国の明王朝が倒れて清王朝になりました。これまで栄えていた景徳鎮の磁器産業が輸出ストップという事で大打撃を受けました。そしてそのピンチヒッターとして選ばれたのが、肥前有田の焼き物です。豊臣秀吉の時代、朝鮮半島に日本の軍隊を向け(文禄慶長の役)、茶に異常なほどの関心を示す秀吉は朝鮮半島から数多くの優れた陶工を連行して来ることを指示しました。九州の大名鍋島直茂は李参平を始めとする優れた陶士達を日本に連れ帰りました。そして彼らが北九州を本拠地に、有田泉山で磁石の鉱脈を発見した事もあって、はじめ朝鮮風の、そしてほどなく唐人仕込の本場中国風の焼物を定着させ完成度を高めたのです。

 「伊万里焼」との呼称もよく聞きならしていますが、江戸時代中期以降、有田のすぐ近くの伊万里港から大坂・江戸はもちろん、北前船等で東北・北海道迄移出されたという事で、伊万里焼と云う名前が一般的となりました。

  日本の磁器の草創期については、「古九谷論争」なる学問的な論争が有りました。これまで特に評価の高かった古九谷色絵は、加賀の九谷で焼かれた物との通説が覆り、実は九州有田で焼かれた伊万里の流れの中にあると云うのがほぼ確実になりました。これまで大枚を叩いてコレクションをしていた人の怒りも尋常でなく、白洲正子さんのように、亡くなるまで古九谷は加賀との持説を貫き通す方も多く見られました。

 前述のように、九州佐賀の大名鍋島直茂が豊臣秀吉の朝鮮出兵に大きな力がありましたが、その後関ヶ原の合戦に際し、一族の存命を賭け、自ら直茂は東軍につき、息子の勝茂を西軍に付けました。結果は徳川家康方の東軍が勝利し、お取潰しの相次ぐ厳しい戦後処理の渦中、勝茂は西軍に加担した負い目から、率先して江戸幕府の為になることに努めました。その苦肉の策の一つが、将軍家並びに幕府重役への高級焼物の献上でした。はじめは中国景徳鎮製のものでしたが、安堵された鍋島藩の殖産興業の実が上ったこともあり、その折々の最高級の有田の磁器が中心となります。のちには、献上品専門の御用窯(藩窯)が有田の北隣の大川内山に築かれ、高品質の色鍋島や藍鍋島が焼かれますが、民窯の代表格山辺田窯や楠木谷窯が準御用窯として期待されその技術革新が期待されていました。色絵付を特化した赤絵町設置の窯元再編の藩のテコ入れ、技術者の引き抜きもあって紆余曲折がありますが、この間、酒井田柿右衛門家に関しては、はじめ(正保〜寛文初)有田の泉山に近い中心地域(内山)に年木山楠木谷窯、のちに西方の南川原(外山)に移って現在の拠点地に柿右衛門B窯、A窯を築きました。初代柿右衛門(喜三右衛門)が柿の実を見て赤絵を開発したとのエピソードがありますが、実際の前半の楠木谷での制作は、古九谷様式の染付(藍九谷)とちょっとくすんだ色調の色絵でした。南川原に移ってはじめは染付中心の作陶でしたが、まもなく許されて色絵の革新に着手します。古窯趾から発掘された陶片を調べる事によって柿右衛門窯の歴史を窺い知ることが出来ますが、寛文末ごろに、有田全域の時代的変節とはいえ、柿右衛門B窯では古九谷様式から柿右衛門様式への劇的な転換(陶片の物証では藍九谷から藍柿へ)が見てとれ興味深いものがあります。

 お米のとぎ汁のような濁手(にごしで)の白地に明るい上絵の施された典型的な柿右衛門の色絵こそ出てきませんが、白磁の色絵用素地や染付と併用した染錦のかけらが出土することでもあり、伝世品と一致する土型の伝来もあって、近くに赤絵窯が設けられ完成度の高い余白を活かした和様の精緻で美麗な柿右衛門色絵が量産されたと判断されます。

 そもそも、冒頭で触れたように、寛文の半ば以降延宝・元禄にかけて、景徳鎮のピンチヒッターとしての西欧への輸出特需が飛び込み、その主たる担い手として、オランダの東インド会社の意向を受け、ヨーロッパの王侯貴族達の受注に沿うべくフル回転で磁器生産がなされたのです。

 スライドは典型的な柿右衛門の濁手色絵の優品の数々です。色絵皿は、5枚一組、あるいは、大・中・小(八寸・七寸・六寸強)3枚一組で発送されました。鬚皿やピッチャーなどヨーロッパ好みのデザインの注文も日本の職人さん達は難なく柔軟にこなしました。

 スライドのうずらの図柄は、ヨーロッパの好みに合致してかそのかの地での倣製品も多数見られます。絵画的にも優れたものが多く、最初は下絵にとどまらず絵付けそのものも狩野派の専門絵師が直接関与したこともあったようです。伝来の秘伝書には、例の濁手の土の配合が示されています。泉山の土だけですと、やや青みがかかって色絵には合いません。泉山の陶石・白川の山土・岩谷川内の陶石の3種を6:3:1で混ぜ精製する手法が工夫され、繰り返し不純物(特に鉄分)を取ってあしこねして手ごねをします。水車を使って細かく石を砕き微細の粉にし、オロで水簸して下に沈んだものをより精選して水気を切り、これを足こね手こねして素土としていきます。

 さて、今日マイセンの磁器ですが、流通しているものに意外と日本的なデザインが含まれていることをお気づきと思います。まさしく18世紀当代の柿右衛門ブームの余光です。

 スライドはベルリンのシャルロッテンブルグ宮殿ですが、陶器の間を作るのが当時の諸侯達の夢でした。中国景徳鎮の焼物に混じって日本の伊万里や柿右衛門があります。沈香壺3つ花瓶2つ合計五点揃物がマントルピースの上に飾る流行もありました。大戦で焼失したベルリンのニュルンベルク城天井画には、天使が抱え合う柿右衛門の色絵壺が描かれていました。

 スライドは18世紀前半磁器をこよなく愛したザクセン選帝侯アウグスト強王の居城アルブレヒト城です。現在マイセンの工場はここにあります。

 スライドは強王の命で石から作る焼き物をヨーロッパではじめて開発したベットガーですが、長年有毒ガスを吸い込んでか30歳代で亡くなりました。1702年の白磁完成(カオリン+雪花石膏)といいます。その後ヘロルドによって、鉱物の酸化物を主とした色絵具が開発されました。その時の16色が現在も基本になっています。また、ケンドラーは、巧みな造型力で磁器の動物園を作りたいとの強王の意向を形にしていきました。

 強王は、究極の夢として、各部屋を柿右衛門ないしその倣製品で埋め尽くした磁器のパレス「日本宮殿」(立面図あり)の建設を計画。残念ながら道半ばで頓挫してしまいますが、この遺志が現在のマイセン製作所に繋がっています。

 以下のスライドは、本歌たる柿右衛門の名品と、これを倣製したマイセンや、イギリスのボーやチェルシーなどの西欧諸窯の18世紀半ば前後のコピー製品です。日本の柿右衛門や古伊万里金襴手の名品が海外にどれだけ迎えられ多大な影響を与えたかを物語っています。

 以上、柿右衛門とマイセンを軸として、江戸時代前期の隠れたジャポニスム、東西陶芸交流史を足早に解説させて戴きました。御清聴を有難うございました。

(女流陶芸家林香君教授率いる文星芸術大学陶芸専攻の、あらゆる条件下実際にサンプルチップを焼いて築き上げたデータベースの効用と卒業生・学生たちの紹介もさせていただきました)

--------------------------- 今日のメニュー -----------------------------------------

和牛肉美味煮

小鉢(小松菜のおひたし) 白飯 赤だし 香の物

 

 

 

 

 

 

 

2013-2014年度 卓話

【9月】

 17日 「陶磁の東西交流〜柿右衛門とマイセン〜」会員卓話    

      上野 憲示 会員         文星芸術大学附属高等学校 校長

 24日 「小口と全身との関係について」  会員卓話

      印出井 敏英 会員        印出井歯科医院 院長

【10月】

  1日 「交通安全を考える」

      加茂田俊之氏          オリックス自動車潟潟Xクコンサルティング部

  8日  振替休会

 15日 「未定」

      奥本雅之様           東日本電信電話 栃木支店長

 22日 クラブフォーラム

 29日 「未定」             会員卓話

      播摩聡会員           播摩建設椛纒\取締役

 

会報委員 柴田 彰夫 会員

写  真 宮本 隆昌 会員

 

メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp

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