(2014)平成26311日 No3054回 20132014年度(33会報)

会員数 99名 出席者66名 出席率73.7% 前回修正率76.8

 

例会に先立ちまして、先の東日本大震災でお亡くなりになられました方々のご冥福と被災にみまわれました方々に対し早期の復興を願い黙祷を捧げたいと思います。

―黙祷はじめー

―おなおりして下さいー

それでは、宇都宮ロータリー・クラブ第3054回例会を開催致します。会長点鐘をお願いします。

 

会長挨拶(藤井昌一会長)

 皆さん、こんにちは。先程、黙祷のご協力をありがとうございました。3月11日、3年前未曽有の大災害に東日本を中心にみまわれた訳ですが、改めまして亡くなられた方又行方不明の方に心から哀悼を称したいと思います。又復興も遅れている様ですので、1日も早く被災地の皆様が元の生活に戻れる様、心からご祈念を申し上げたいと思います。又日本中のロータリークラブそして宇都宮ロータリー・クラブも、被災地に対して色々なボランティア支援をこれからも忘れずに続けて行きたいと思います。今日の卓話は、善林委員長からその事に対しての卓話がございます。是非、宇都宮ロータリー・クラブとしましてもこれを忘れずに、この想いをいつまでも思い続け被災地の皆様が1日も早く元の生活に戻れます様、協力をして行きたいと思います。皆様の引続きのご協力をお願い申し上げます。

 

出席祝(出席委員会 稲野秀孝副委員長)

 篠崎昌平会員(31年)齋藤一郎会員(30年)阿部欣文会員(7年)

荻山猛彦会員(22年)粟飯原悟会員(6年)播摩聡会員(5年)

大矢裕啓会員(2年)矢治和之会員(2年)堀井宏祐会員(28年)針谷隆之会員(1年)

 

ニコニコボックス(ニコニコボックス委員会 秋本薫委員)

 誕生祝:北村光弘会員

 快出席祝:播摩聡会員 荻山猛彦会員 齋藤一郎会員 粟飯原悟会員 阿部欣文会員

        大矢裕啓会員 堀井宏祐会員 矢治和之会員 篠崎昌平会員

 青木直樹会員:娘が結婚いたしました。

 秋本薫会員:この度、第35回食品産業優良企業等表彰に於いて、お陰様で最高賞である

        農林水産大臣賞を頂きました。昨日、霞が関ビルで林農林水産大臣より、

        直接表彰状を頂戴して参りました。これも、ひとえに皆様のご支援の賜物と感謝しております。この場をお借り致しまして、ご報告させて頂きます。

 善林隆充会員:本日は、卓話の機会を頂きました。頑張りますので、

皆さん静かに聞いてね。

 

プログラム紹介(プログラム委員会 北出幸一委員長)

 東日本大震災から3年。今日は、是非社会奉仕委員長の善林会員に卓話をして頂きたいと思っておりました。先程、会長の御挨拶がありましたが、支援を宇都宮ロータリー・クラブもこれからも忘れずにするべきだと思っております。善林会員の活動ぶりで、気仙沼への支援は素晴らしい取り組みだと思っております。その気仙沼への熱い思い・支援の炎は「誰にも、消せん ぬま」という事で“ボランティアと秋刀魚”というタイトルで卓話を頂きます。宜しくお願いします。

 

卓話「ボランティアと秋刀魚」

                 潟}ルゼン 代表取締役社長 善林隆充会員

まず、本日は311日ということで、東日本大震災で尊い命をなくされた方のご冥福をお祈りいたします。

さて、本日は311日ということで、先週末からテレビでも震災の話でもちきりです。この日に北出委員長より卓話をお願いしますといわれ、震災とはまったく違うテーマでは卓話も出来ませし、もちろん北出委員長も私に、震災関連の話をしなさいということだろうと思いましたので、東日本大震災以降、私が何をしてきたか、何で善林は秋刀魚を焼いているのか?多分わからない方が多いと思いますので本日は秋刀魚を焼くにいたたった経緯のお話をさせていただけたらと考えています。スライドで過去の写真を中心に話を進めてまいります。さらにこの話は今回RIの意義ある業績賞にもエントリー推薦をいただきましたので、ご報告にもなりますので、お聞きをいただければ幸いです。

まずはこの話の最初は2011311日の東日本大震災に始まります。当日は私も帰宅難民で大変な思いをしましたが、この話を始めるとこれだけで30分話ができますので、本日はこの話は割愛をします。3月の末のある日、当クラブの飯村さんから一本の電話。今夜一杯やりませんか。震災以降、酒飲みは控えていましたので久しぶりに外でやりますかの話でした。その時に飯村さんと現在はクラブメンバーですが大矢さんと3名で飲むことになりました。話の内容はもちろん震災の話です。3名は20年来の友人でかつてのJCの仲間同士でもあります。飯村さんいわく私に、今回の震災で何もしなくていいんですかの問い、私はかつて、阪神大震災の時に4日目にボランティアとして神戸の地に駆け付けた経験があり、今回の震災は何もしないんですか?と問われました。当時は32歳くらいで決起盛んな年代でもあり、2011年当時は49歳です。組織もないし何ができるのかといろいろ話をしました。飯村さんから、ところで気仙沼の菅原君は覚えていますかの話になり、どうかしたのか問うと安否がわからないとのこと、それは大変だの話から、やっぱりボランティアを始めるかの話になり、次の日から行動を開始することになります。気仙沼に菅原君の震災見舞いに行くなら、折角行くのだから、手ぶらもなんだから、広く支援を呼びかけたらどうだ、の話で当時宇都宮法人会の青年部の会長の上野君(友人)が法人会の方々に支援物資のお願いをしたところ、あっという間に支援物資が集まりました。この時の写真が写されています。これを仕分けして気仙沼まで運ぶことになります。写真のトラックは大矢さん号で会社のトラックで気仙沼まで支援物資を運びました。当時私も布団寄贈して支援をしました。写真は支援物資の倉庫の様子と菅原君を見舞ったときの写真です。菅原君は当時48歳で商工会議所の副会頭で現在は気仙沼の商工会議所会頭になられています。こんな活動が最初の活動でした。その帰り道、国道46号線を下りながら、気仙沼から南三陸に向かう様子です。とにかく言葉では表せないひどい街の様子を見ながら帰ります。その帰り道、皆でやっぱり何かしないといけないねと話し合いながら、気仙沼での炊き出しはあまりにも遠いので少し、無理だけど近場なら炊き出し出来るといことで、翌週から炊き出しにボランティアを開始します。当時、高速道路は開通したものの道はがたがたで、まともにスピードを上げることができない状況。確か宇都宮から気仙沼まで片道8時間かかりました。

とにかく知り合いや後輩に呼びかけて、炊き出しをするから手伝ってくれと始めます。友人の居酒屋の調理場を借りて前の晩から、おにぎり作戦。確かこの日は宇都宮ロータリーのお花見コンペがありましたが、2次会はいかずにお酒も飲まずおにぎりをにぎりました。

とにかくご飯が熱くて、やけどしながらひたすらおにぎりをにぎりましたが、おにぎりはあまりにつらいのでこの後おにぎりじゃなくて炊き込みご飯に変わります。確かこの日は25時までかかりました。翌朝あさの5時ごろの出発。最初に出向いたのは山元町でした。おにぎり1200個、トン汁1200人分、野菜おひたし、イチゴなどを炊き出し、ふるまいました。当時この時は現地の青年会議所が受け入れてくれました。炊き出しを終了してから、現地のJCの皆さんが、海岸沿いの被災地を見せてくれたのですが、ここがまたひどい状況でした。1週間前に気仙沼と比較したらまったく何もない状況。全部流されて、真っ平らな土地が広がっており、この光景は今までの人生で見ることはなかったと感じました。とにかく、いたるところに車が転がっている様子は今でも鮮明に覚えています。まだこのころは、復興などまだまだ先で、いたるところで自衛隊が遺体探しをしている状況でした。3週目はいわき市の体育館にやはり500名以上の人が避難しているとの情報で、いわき市の商工会議所青年部が窓口で炊き出しを行いました。宇都宮餃子会の支援もいただき、餃子600名分3000個の餃子を焼き、炊き込みのご飯とともに炊きだしました。これは地域のラジオで放送されたせいもあり、長蛇の列ができました。宇都宮の餃子がアツアツで食べられるということもあり、大人気となりました。

当時はお弁当の配布はあるが、弁当は前の日の弁当であったかいものなんか食べられなかったから有難うといわれたのを思い出します。この模様はちょうどフジテレビにも放映されました。この時は支援物資も持っていき、あっという間に支援物資もなくなったことを記憶しています。4週目はやはり、いわきからのアンコールもあり、連続でいわきに出向きました。その週は食材もわけありで、豚肉が余っていたので、豚丼を作ることになりました。実は炊き出しを行う際に、宇都宮のJA様をはじめ、いろいろな方々から食材をいただいていました。宇都宮市内の震災の避難所などからもお米の提供をしていただいていました。トン汁を最初につくるとのことで、豚肉を確か150kgほどいただいたのですが、トン汁だけでは豚肉がさばききれず、業務用の冷蔵庫に保管をしていただいたのですが、邪魔になってきたので、最終的に豚丼500名分を炊き出しました。ただこれはご飯を炊きだす部隊は何回かに分けて現地入りするなどご飯を暖かいうちに食べてもらう作戦をとりました。見事にアツアツの豚丼を作り出しましたが、ここで初めて参加した、メンバーの金子君が鍋をかき回していただのですが、焦げたのに気が付かないまま、豚丼を焦がしてしまったのが残念でした。実は第5週目になり、炊き出しの材料もいただいた食材が底を付、これからまたもらうのも大変ですし、食材を買うにも大変な金額になりますし、さらに現地も少しずつ、自宅に帰りだしている人もいるのでこの辺で炊き出しプロジェクトは終了することになりました。その最後が51日の亘理小学校でした。ここはやはり500名そのほか亘理中学校に300名などまだ800名くらいの被災者がいるとのことで、出向くことになりました。この時も宇都宮餃子会の支援もいただき、餃子を焼くことになりました。この時は夕方の食事を頼まれましたので、午後1時ごろ、現地に到着してから現地でただひたすら餃子800名分を焼き続けます。それとスープと炊き込みご飯を添えて出すことになりました。それをアツアツのまま食していただくため、発泡スチロールの箱に詰めて夕方まで保温をしておきます。これを一斉に配る作戦となりました。この発泡スチロールは効果があり、アツアツの状態で提供することができました。この発泡スチロールは大矢さんの提供であつあつ作戦は大成功でした。一連の炊き出しプロジェクトはここで終了をしました。

この炊き出しプロジェクトは話題になり、下野新聞にも掲載されましたし、福島でも福島民報などでも報道されました。さらに私も講演の依頼などがあり、当時の様子を話したことがあります。

それがいけなかったのかもしれませんが、私に降りかかってきたのが、宇都宮法人会の社会貢献委員会の委員長の仕事が私に与えられました。炊き出しにいくためのガソリン代を法人会から青年部の活動資金としていただいた結果、社会貢献委員会の委員長を受けることになりました。

元々、法人会の社会貢献委員会は宮の市にてブース出展をして、税金のリーフ・レットなどを配布したり、授産施設の商品を販売したりしていました。もちろん、こうした活動も私も参加しておりましたが、2011年被災した年、社会貢献委員長に指名され、何か社会貢献のブース出展をしなければならないと考えており、特に被災した年だから、考えたのが福島県の物産市でした。たまたま、福島の友人と新幹線の中でばったりとあって、福島の物産市をやろうと考えているのだが支援できないかと話したら、友人の住んでいる本宮の商工会が福島県の浪江町の避難所があり、そうした物産展を生活の為にやっているとの情報をいただき、さっそく本宮の商工会の皆様とあって浪江町の方々の為に是非、宇都宮の宮の市で出店していただきたい、こちらとしても販売応援もしますので是非ということになり、福島物産市を開催することになります。当時、福島県の商品は風評被害で全然売れない業況でしたが、この物産展は大盛況でした。もちろん私たちも必死で福島をPR。中でも後にB級グルメ大会で優勝した浪江やきそばを現場で焼いて、もちろん有料ですが販売したところ、2日目の午前中で売り切れてしまうほど大盛況に終わりました。2日目の午後は雨が降り出して、ほとんど中止状態でしたが、売り上げ1日半で売り上げ80万円を売り上げて、大変感謝されました。私たちも社会貢献事業としては十分な活動ができたと考えていました。2011年の秋はこうして私は社会貢献活動をしておりました。同時並行で宇都宮ロータリークラブではクラブ創立60周年の準備がされており、その委員長に岡崎さんが社会奉仕の委員長で周年事業の記念事業の担当になっており、そのプロジェクトに私は副委員長として参加することになりました。その60周年の記念事業を当時の青木会長が震災復興を掲げ、記念事業を震災復興のプロジェクトにしたいと考えを述べられたため、岡崎委員長は私を副委員長に指名したのだと思います。皆様も感じたかもしれませんが、今までの話の流れから、おのずと震災復興のプロジェクトは簡単に、気仙沼に決まりました。ただ何を寄付するかの話はいろいろありました。気仙沼まで行って、菅原君とも相談をし、気仙沼の現況をお聞きしたり、復興のプロジェクトの話をお聞きしたり、いろいろなお話を聞きながら、どうやらピンポイントで気仙沼のキーポイントがわかりだしました。どうやら、気仙沼のキーポイントは漁協がポイントであることがわかりました。町の7割の人が漁業や水産物加工に従事しており、街の産業がつまり魚であることがわかりました。それならば、漁協を支援することが、復興の早道であろうと考え、協議を重ね、トラックを寄贈することになります。

ここで、この話は少しそれますが、当時の思い出話になりますが、たしか私と岡崎委員長と飯村さんと金子君でロータリーコンペに参加した時に4名でラウンドしておりゴルフをしながらトラックの話をしていました。そうしたら、キャディーさんがお客さんたちは運送会社の人ですかと聞かれまして、キャディーさん何でそう思ったのと尋ねたら、お客さんたちトラックを買う話をしていたから、運送会社の人かと思ったといわれまして、思わず、噴出したことを覚えています。結局、気仙沼の基幹産業が漁業であり、その中心が気仙沼の漁業協同組合であり、またその組合は海に面しており、大きな被害を受けていることから、気仙沼の漁協にトラックを2台寄贈することになったわけです。その時にここでアイディアを出して、トラックに宇都宮市内の西小学校の児童にトラックに頑張れ気仙沼のエールを書き込んで気仙沼漁協に贈りました。それが2012年の1月の御話しです。その年の秋にまた宮の市で法人会の社会貢献委員会でまた社会奉仕活動をしなくてはなりません。実はここで思いついたのが秋刀魚でした。折角、気仙沼とのつながりもできたし、トラックの寄贈をこのまま風化させるのももったいないし、気仙沼と宇都宮を上手くアピールする方法はないかと考え、思いついたというか、目黒の秋刀魚をまねたというかまーその程度の思いつきでした。実はここは少し私が脚色をした話ですが、気仙沼からお礼の秋刀魚というのは話の話題性を作るため、私が気仙沼の漁港に行って、こう考えているので、お礼に秋刀魚をくださいともらいに行ったのが本当の真実です。多少、演出はありましたが交渉の末6000匹をもらうことができました。

ここでまた少しひねります。秋刀魚をいただいたのは、宇都宮ロータリークラブです。宇都宮ロータリークラブはトラックのお礼にもらうのですが、宇都宮ロータリーはこれを宇都宮市の皆様で食してくださいということで宇都宮市長に寄付をします。そのため、この宇都宮市長あてに秋刀魚6000匹は引き渡されています。この秋刀魚は最終的に宇都宮法人会に預けて、宇都宮法人会が塩焼きのお手伝いをすることになりました。実は、これが本当のあらすじですがこれはだれも知りません。もし何かあった時の為のあらすじでした。さて、この6000匹を全部焼こうなんてことは到底焼き切れないことは承知しており、私はまず秋刀魚を生で1人4〜5匹をビニールに入れてお土産としてお持ち帰りを考えていました。そこに義援金として一人100円の御願いをすれば義援金が集まり、このお金を漁港に寄贈すれば何とかなるだろうと考えていました。ところがここで大問題が発生します。宇都宮商工会議所が生の秋刀魚を販売するので、その許可を保健所に求めたところ、そんなこととんでもない。魚屋でもない人が生の秋刀魚を販売だろうとただだろうとそんなことは、許可はできませんとの答え。新聞記事の前で急きょ新聞内容も変更して、大騒ぎ、さてどうしようとゆうことになり、問題は生の秋刀魚を触ること、それと不特定多数に販売するのが問題であるとのことで、仲間内で生の秋刀魚に触れずに販売するなら可能だということがわかり、友人に頼まれて代理で購入してきたよということになります。1ケース60匹入りで新鮮な秋刀魚を2000円で販売をしたところ、これが10分足らずで予約が殺到し、3600匹は完売。この秋刀魚を購入した人はみなさん喜んでいたようです。結局残り2400匹の秋刀魚を塩焼きにします。これも新聞やTVのおかげで終始並んでいただき、大成功に終了。正直、秋刀魚を焼く前は街中では焼かせない、においが店に入るなど逆風の嵐、一時はそこまで、いわれるならやめてすべて生で販売して終了してしまおうかなとも感じていました。最終的に自分たちのお金で借りた有料駐車場で焼いて、お金もかかりましたが、皆さんに喜んでいただいて、結局義援金として26万円、宇都宮ロータリーから20万円のBOX基金をいただき、合計46万円の義援金を集めることができて

このお金を気仙沼の漁協に義援金として復興に使ってくださいと渡すことができました。6000匹の秋刀魚はいただいたのですが、漁協には迷惑はかけなかったと安心をしました。しかしながら、この事業は総論賛成で各論反対の意見があり、本当に疲れたと感じる事業でした。正直、この事業は2013年まで引き続き、やることは考えていませんでした。ところが、2013年度〜14年度の社会奉仕委員長に藤井会長から指名を受け、もしかして、藤井会長に秋刀魚焼きを社会奉仕の事業に考えていますか。お聞きをしたら、できればやった方が良いのではないかといわれ、正式に宇都宮ロータリーの事業として立ち上げることを決意したわけです。同時並行で宇都宮法人会でも1昨年の実績もできて、委員会で委員長(善林)が進めてくれるなら、13年度も進めてください。社会貢献事業として事業資金がでるので、正直私にすれば、一石二鳥の事業であり、自分にとっては好都合になったわけです。結局、この事業は共催でお金は50%・50%の負担金で事業は行われました。2013年度は、まず場所の確保。昨年の場所は有料で借りたので、今年はそのお金はかけたくないので、とにかくいい場所を今年はただで借りたいと考えておりました。何度か市役所と交渉し、宇都宮市まちかど広場を借りることができました。障害物はありましたが、1昨年より広い場所で、食べるにも広い場所を確保でました。112日・3日は当日宇都宮餃子祭りも同時開催で宇都宮のお祭りでもあり、天気さえよければ、人出は見込めました。もちろん、秋刀魚焼きは事前の新聞での告知もあり、さらに土曜のお昼のNHKのニュースとしても流れたため、終始お客様に並んでいただいている状況でした。13年は前年度の経験もあり、焼き手も慣れたもので、スムーズに焼くことができました。また、義援金も38万円の義援金を集めることができました。13年度の秋刀魚は不漁で秋刀魚をあつかましくくださいとはいえる状況ではありません。秋刀魚を購入するのも復興支援と考え、秋刀魚は購入することを決定。しかし、不漁もあり秋刀魚は気仙沼で水揚げされたものの、一番脂乗りのいい時期で秋刀魚の卸価格は196円ほどについていました。これも仕方ないと考えながら最大で3000匹を購入、これを全部焼き切ることになります。13年度はこの売り上げを気仙沼の魚協に渡すことは考えていませんでした。ただ、宇都宮が気仙沼支援した事業から生まれた秋刀魚の事業でもあるので、支援先はやはり気仙沼に決めました。支援先は旭ヶ丘学園となりました。これは熊本君の意見を参考にして決めました。旭ヶ丘学園に決めた理由は、旭ヶ丘学園は高台にあり直接、被害はありませんでしたが、気仙沼で旭ヶ丘学園を支援している気仙沼の企業が被災しており、旭ヶ丘学園を支援している会社が減り、支援金が減っていること、さらに震災を切っ掛けに入居者が増えていることなどがありましたので、旭ヶ丘学園を支援することにしました。現地に行って、職員の皆様とお話をしていたら、なんと昨年の9月までこの学園に理事長をしていたのが、最初に気仙沼を支援する切っ掛けになった男山酒造の菅原君のお父様が理事長を務めていたとお聞きして、やはりつながりがあったのだと感じて、いいところに支援できたと感じた次第です。その後子供たちと交流として、恋するフォーチュンクッキーを一緒に踊れて思い出としても残りました。また今年の秋刀魚焼きはいろいろな人にボランティアとして参加していただいて本当にありがたいと感じました。さらに、インターアクトの生徒たちも積極的にボランティア参加して、さらに気仙沼の旭ヶ丘学園まで同行いただいたことは、インターアクト活動にもかなり画期的なことではなかったかと思いました。インターアクトの生徒も来年もやりたいとの意向があるようです。こうした一連のボランティア支援から秋刀魚焼きプロジェクトまでの話をまとめて、RIの意義ある業績賞にエントリーをさせていただきました。結果2550地区から6個の事業がエントリーされその中から1件この秋刀魚プロジェクト事業がRIに推薦されました。宇都宮クラブとして初めてのことだそうです。県大会に優勝して、国際大会にエントリーすることになりましたといことになりますか。正直、2550地区を代表する事業ということで私自身は喜ばしいことだと感じています。もしRIで何かの賞をいただいたら、お祝いの会でも開きたいと考えています。その時はよろしくお願いいたします。本日は311ということで、震災の日にふさわしい卓話だったかどうかわかりませんが、私と震災となるとこの話しかないのでお許しをいただきますようお願いいたします。本日は御静聴有難うございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日のメニュー

ポークジンジャー

チャウダー ・ サラダ

ライス

 

 

 

 

 

 

2013-2014年度 卓話

【3月】

 11日 「ボランティアとサンマ 」         会員卓話  

     善林隆充会員            潟}ルゼン 代表取締役社長

 18日 「新チーム結成から開幕戦に向けて」

     柿沼 章様             宇都宮ブリッツエン 副社長

     清水裕輔様             〃         監 督

 25日 「モバイルを活用したおもしろサービス・ソリューション」

会員卓話

     菊池太志会員            NTTドコモ 栃木支店 支店長

会報委員 田部井 純 会員

写  真 菊池 太志 会員

メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp

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