(2014)平成26729日 No3072回 20142015年度(5会報)

会員数 99名 出席者73名 出席率77.7 前回修正率 72.8

MU会員 荻山猛彦会員(宇都宮90RC)

 

会長挨拶(大塚秋二郎会長)

毎日お暑い中でございます。今年の夏の長期予報では冷夏になると聞いた覚えがありますが、エルニーニョが少し遅れているという気象庁の言い訳が聞こえてきました。しばらく暑い日が続くようですので、皆さんお体調には気を付けになってご自愛の程お願いします。

昨日私共がフランチャイズと申しますが、宇都宮女子高等学校の生徒さんによる教育の一環として看護体験を南高砂町にあります地域医療機能推進機構うつのみや病院(草野英二会員)で、して頂きました。本日、下野新聞社 観堂社長のご配慮によりまして下野新聞に載りました。皆様、ご一読頂ければと思っております。大変初々しい看護士さん体験という事でした。草野会員と観堂会員のお二人に、大変お世話になりました事、ご報告させて頂きました。

 

親睦活動委員会(矢治和之副委員長)

 本日のご報告です。親睦手帳2014-2015年度が、出来上がりました。ボックスに入れさせて頂きました。お持ち帰り頂きたいと思います。以上、ご報告です。

 

青少年奉仕委員会(斎藤幸一委員長)

 先程、大塚会長が言われました様に地域医療機能推進機構うつのみや病院に宇都宮女子高等学校白百合インターアクトクラブのメンバー3名と先生1名、熊本会員と私で行って参りました。開会式で草野院長が「病院の中は、先生と看護士以外にも沢山の業種の中で成り立っています。広い視野を持って、そういった所を見て下さい。私は外来の患者さんがいるので、ここで失礼をします」と言われた途端、生徒さん達がナイチンゲールの様に目をキラキラさせました。そして、感動しながら一生懸命看護体験をされました。今回、下野新聞さんのも載っている様に、やりがいを実感されたという事で、良い体験ができました。ご協力を頂きました皆さん、ありがとうございました。

 

ニコニコボックス委員会(多賀信彦委員)

 宇都宮市教育委員会 教育長水越久夫様

 

プログラム紹介(プログラム委員会 大矢裕啓委員長)

先週は水越教育長、その前の週は夜間例会で下野新聞の久保運動部長より卓話を頂きました。高校野球の展望という事でお話を頂きましたが、その通り佐野日大と作新学院の戦いになりました。作新学院が見事優勝を勝ち取り、甲子園に行くという結果で終わりました。久保様が席でおっしゃっていたのですが、小針監督は山本監督を上回る様な成績を上げるかもしれないと。その様な予感がしていると、話しておられました。選手を掌握してまとめると云った所は、31歳の監督ですが我々も少し見習わなければならないかな!と。若干ジェラシーを感じる位「良いな!」と。

本年度、初めての会員卓話です。副SAAをされています伊原修会員より「わが故郷・群馬県富岡市、富岡製糸工場と絹産業遺産群」と題しまして、卓話を頂きます。伊原会員は、昭和42年9月群馬県南牧村にお生まれになり、富岡高等学校・横浜市立大学・三菱電機ビルテクノサービスに入社されました。そこを退社されまして平成15年4月大高商事に入社されました。平成19年より専務取締役をされていらっしゃいます。よろしくお願い致します。

 

卓話「わが故郷・群馬県富岡市 富岡製糸場と絹産業遺産群」

                椛蜊o、事 専務取締役 伊原修会員

皆様改めまして、こんにちは。伊原です。本日、皆様の前で大変緊張しております。パワーポイントを使って、説明をさせて頂きます。先程、大矢委員長より私の事を話して頂きましたが、昭和42年生まれの46歳です。出身地は、群馬県甘楽郡南牧村です。

3人姉兄、姉・兄・私です。富岡高校出身です。今住んでいる所は宇都宮市上戸祭、家族は妻と息子二人です。高校3年、中学3年です。職歴は、三菱電機ビルテクノサービスという会社に13年おりまして、平成15年から今の大高商事という所でやらせて頂いております。又地元の自治会の副会長と中学校のPTA会長もやらせて頂いております。私の出た富岡高校は、創立が1897年と今年で117年を迎える高校です。画家の福沢一郎さん、コメディアンの団しん也さん、初代水戸黄門の東野英治郎さん、NHK9代会長阿部真之助さんです。終戦昭和20年に陸軍中野学校スパイ養成学校が、疎開しまして富岡高となりまして、高校の中に陸軍中野学校終焉の地という事で碑が立っております。これは、群馬県全体の地図です。かの日航ジャンボ機が墜落した上野村が一番南にございます。その北側が、私が生まれた南牧村です。更にその上が下仁田町でネギが有名な所です。更にその右上が富岡市、この様な位置関係になっております。富岡へのアクセスは、今北関東自動車道が通っておりますので北関東自動車道・関越自動車道・上信越自動車道を使い富岡インターで降ります。電車で行きますと、高崎まで新幹線で行き上信電鉄で約30分位乗りますと富岡に着きます。富岡の場所ですが、群馬県の南西部に位置し東京から約100キロの位置にあります。県都の前橋市から30キロの距離にあります。東京からのアクセスも非常に良く約1時間で行ける距離です。土地としては、東は関東平野に続く平たん地、西は上毛三山の1つ標高1100メートルの妙義山があります。上毛三山というのは、群馬県内の赤城山と榛名山とこの妙義山を言います。妙義山の他に南には、稲含山という山があります。あとは、丘陵地帯です。中央に鏑川(かぶら川)が流れていて全体的には緑が生い茂る清流のある町です。富岡市の気候は内陸ではありますが年平均気温が14度前後、年間降水量は1000ミリ前後で、雪も殆ど降らず年間200日以上は晴天で非常に温暖な気候に恵まれた土地です。人口は約5万2千人です。群馬県全体は、200万人です。市の花は桜、市の木はもみじ、市の鳥はウグイスです。姉妹都市は、長野県岡谷市です。岡谷市とは、生糸・養蚕等のつながりが昔から深いです。次は富岡製糸場の位置関係ですが、一番下のところに上信越自動車道の富岡インターチェンジがありまして、そこを降りますと車で約10分足らずです。上信電鉄富岡駅と富岡市役所のすぐ近くという事で、街中に立地しています。富岡製糸場は建物がこの様は配置になっておりまして、良くテレビ等に出てくるのは右の東繭倉庫と書いてあります大きな建物、ここが正面の入り口になっております。それと奥に西繭倉庫と言うのがございます。左に細長い建物が有ります。これが繰糸場といいまして、この中で繭から生糸を摘み作ったという場所です。その他、製糸場の設立に携わったポール・ブリュナという人が住んでいたブリュナ館があります。女工館、ここで働いていた女工が普段の生活を送っていたのが女工館です。あとは、検査人館で出荷する生糸のチェックを行った場所です。全体的な配置は、この様になっております。中の説明です。繰糸場の内部は繰糸器がずらーと並んだ構造になっております。天井は板が無く、この様なはりだけで作られた構造です。西の繭倉庫、ブリュナ館がこちらの建物になります。女工館と検査人館と東の繭倉庫がこちらになります。

富岡製糸場の設立は、明治5年(1872年)明治政府が日本で最初に建築した官営の模範製糸工場です。模範というのは、工場で技術を身に付けて女工達が全国に散らばって、その地で同じような製糸工場で技術を伝承するという事で、模範工場という言われ方をしています。工場を作った目的は、殖産興業で諸外国に負けない国づくり、富国強兵と国を発展させて兵隊を強くする。富国強兵で外貨獲得というのが大きな目的でした。その為に器械製糸の普及と技術者育成が大事でした。外貨獲得の手段として、当時最大の産物でした生糸の輸出をしていくのだと。その背景としまして、当時ヨーロッパでは蚕の伝染病が流行っており生糸が不足していたという事で、この生糸の大量輸出国清がアヘン戦争の影響で生産量を減らしていたというのが、背景にあります。又尚且つ当時輸出総額、日本は約1850万ドルでした。その約84%がこの生糸であったという事で、いかに生糸が重要であったかという事です。

何故、富岡の地に製糸場が選ばれたのかという事です。明治3年、横浜のフランス商館のポール・ブリュナらが、武蔵(埼玉)上野(群馬)信濃(長野)の地域を調査して上野、今の群馬の富岡に決定したという事です。理由として、富岡付近は養蚕が盛んで生糸の原料の繭が確保できるという事です。次に工場建設に必要な広い土地が用意できる。生糸に必要な水が容易に確保できる。燃料の石炭が、近くの高崎吉井町で採れる。そして、外国人指導者による工場建設に地元の人達の同意が得られたという事です。富岡製糸場は、殖産興業という事で推進する為に国が建てた建物です。先程見ました繰糸場は、長さ約140メートル幅12メートル高さ12メートル、当時では世界的に見ても最大規模の工場施設でありました。この工場の建設は、明治4年から始まり明治5年に完成それから操業を開始しております。繰糸場には、300人取りの繰糸器が置かれ、全国から集まった女工たちの手によって器械製糸が始まりました。その後外国人指導者ブリュナ達が去った明治9年以降は、日本人達だけで操業、経営としてはずっと黒字ばかりでは有りませんでしたが、高品質という事で海外でも好評だったという事です。器械製糸の普及と技術者育成という当初の目的が達成された頃、官営工場の払い下げという事がありまして、明治26年に三井家に払い下げられました。その後明治35年には、原合名会社に譲渡されました。その後も生糸の高品質・大量生産で注目を集めました。その後、昭和13年株式会社富岡製糸所として独立したわけですが、翌年には当時日本最大の製糸会社であった片倉製糸紡績株式会社、現在の片倉工業株式会社に合併されました。その後戦中・戦後と製糸工場として活躍したのですが、生糸値段の低迷等により昭和62年

(1987年)操業を停止しました。のべ、115年間操業したという事です。その後、富岡市の管理に移りまして大切に保管されているという事です。

製糸場はどんな建物かというと、外国人指導者フランス人のポール・ブリュナがフランスから製糸場に必要となる技術者を連れてきたり、洋式の器械を日本人の体格に合う様に改良したものを注文して取り寄せたという事です。建物の設計は、横須賀製鉄所建設に携わったフランス人のオーギュスト・バスティアンという人が担当しました。尾高惇忠という人(政府の役人)が、建設当初から関わりまして建築資材の調達に尽力したという事です。この尾高さんは、初代場長となりました。建物自体は、木の骨組みに煉瓦を積み入れて造る「木骨煉瓦造」という造り方で建てられています。煉瓦というのは、当時日本に無くて西洋の技術を中に取り入れ日本瓦も用いながら、日本と西洋の建築技術を融合して造られた建物です。主要材料は、石・木・煉瓦・瓦で鉄枠のガラス窓・ドアの蝶番等これらはフランスから運び込まれたという事です。中心となる材木は主に官林で伐採して、杉の木の大きいものは妙義山、松の木は吾妻から調達、小さい材木は近くの山林から集めたという事です。又石材は連石山といって甘楽町から切り出されたという事です。煉瓦はフランス人技術者が瓦職人に作り方を教え、福島町今の甘楽町の笹森稲荷神社の近くに窯を築いて瓦と一緒に焼き上げたと言われています。その中心となったのが、埼玉県深谷からやってきた瓦職人達であったという事です。煉瓦の目地には、セメントの代用で漆喰を使ったという事です。原料となる石灰は、下仁田町青倉・栗山産のものを使用したという事です。煉瓦はフランス積みという工法で積まれています。この写真は、木骨煉瓦造という事で木の骨組みに煉瓦を組み入れて造るという方法です。

どんな人が設立に寄与したのかというと、埼玉県深谷市出身の偉人達という事で渋沢栄一さんです。近代日本主義経済の父と呼ばれています。当時大蔵官僚の伊藤博文と一緒に政府担当となって計画を進めたという事です。次に尾高惇忠さんです。この方は、渋沢栄一さんのいとこにあたりまして建設資材の手配に尽力したという事です。初代富岡製糸場の場長です。次に韮塚直次郎さんです。この方は、建設資材の中でも特に瓦・煉瓦の製造に尽力された人です。という事で富岡製糸場

世界文化遺産登録という事で、中身としまして1番にフランスの技術を導入した富岡製糸場の生糸の大量生産は、養蚕・生糸・織物に関わる一連の絹産業を発展させ、その技術が海外に移され、世界の絹産業の発展を支えてきた事、これが一つです。もう一つは、我国初の大規模工場として誕生した富岡製糸場と近代養蚕飼育法を確立した養蚕農家群、蚕種を貯蔵した風穴等が、当時のまま良好な状態で保存されている事、この二つが高く評価されて、今年の6月世界文化遺産に登録されたという事です。この富岡製糸場は、国内で18番目の世界遺産、文化遺産としては14番目です。産業の近代化に貢献した近代産業遺産としては、我国初登録です。遺産は、富岡製糸場・田島弥平旧宅・高山社跡・荒船風穴、この4つが遺産として登録されています。位置関係です。富岡製糸場が真ん中にあります。高山社跡右に行きますと田島弥平旧宅、左の方が荒船風穴です。距離的には、それぞれが若干離れております。一日で廻るのは非常に困難な位置関係です。このところが、今後の課題なのかなと思います。

 中身の問題です。富岡製糸場は先程の説明通りです。田島弥平旧宅は伊勢崎市にあり、通風を重視した蚕の飼育法を大成した田島弥平が建てた居住兼蚕室です。瓦葺の2階建てです。屋根に換気のヤグラがつけられたという事です。高山社跡は、藤岡市にあります。高山長五郎さんが通風と温度管理を調和させた「清温育」という蚕の飼育法を確立したという事で、設立された養蚕改良高山社、これがその後技術を全国・海外に広めたという事です。この清温育というのは、全国標準の養蚕法となりました。その後建てられて、素晴らしい構造であったという事で多くの実習生が学んだという事です。荒船風穴は、下仁田町にあります。これは岩の隙間から吹き出す冷風を利用して、蚕の卵を貯蔵した施設です。冷蔵技術をいかし当時年1回しかできなかった養蚕を、年数回可能にしたという事で貯蔵能力としては国内最大規模で、取引先は全国40道府県をはじめ朝鮮半島にも及んだという事です。

今後の課題です。@増加する観光客の受入れ体制です。ゴールデンウィークの4施設の来場者は、約6万人で昨年の3倍です駐車場の確保と4施設を結ぶ交通機関の確保、外国人観光客への対応、周辺宿泊施設の確保、団体の方もバスの予約が取れない状況で年明けまでは無理と言われています。

A多額の補修費用維持で富岡製糸場だけで今後30年で、100億円の補修費用がかかるのではないかと言われています。これらを入場料収入の積み立て、あとは寄付金等で賄うという案が出ています。B観光による地域振興です。老朽化遺産の保護と合わせて地域活性化振興策でいくという事です。観光収入を増やして、それらを地域振興につなげていくかが重要なポイントです。以上富岡製糸場の状況についてお話させて頂きました。世界遺産はどのようなものかと云いますと、国や民族が誇る文化遺産や自然遺産を世界の人々が共有して、未来に引き継いでいくべき人類共通の宝物として守っていく為に世界遺産条約というのがユネスコの総会で採択されました。この取り組みに基づいて、世界遺産リストに登録された文化遺産や自然遺産が世界遺産というものです。自然遺産・文化遺産・複合遺産と分類されています。自然遺産は、アメリカ・グランドキャニオンやオーストラリアのグレイトバリアリーフそして日本の屋久島・小笠原諸島です。文化遺産は、ピラミット・ベルサイユ宮殿・万里の長城等が上げられます。複合遺産は、ペルーのマチュピチュ、ギリシャのアトス山等が上げられます。日本では世界遺産が18(富岡製糸場含め)あります。10番目に日光の社寺という事で1999年に文化遺産に栃木県で初めて登録されました。以上で終わりにさせて頂きます。本日は、どうも有難うございました。

 

--------今日のメニュー-------

牛肉のステーキと仔羊のマスタードパン粉焼き デミグラスソース

サラダ

ライス スープ

 

 

 

 

 

 

2014-2015年度 卓話

【7月】    

 29日 会員卓話 「わが故郷・群馬県富岡市 〜富岡製糸場と絹産業遺産群〜」

     伊原 修会員     椛蜊o、事 専務取締役

【8月】

  5日 未定 

     綱川榮様      渇コ野新聞社 論説委員長

 12日 クラブ特別休会

 19日 卓話なし。 親睦移動例会のため。

 26日 「マナーキッズの効果」

     上澤久子様      宇都宮市立戸祭小学校 校長

 

会報委員 畑 剛司 会員

写  真 飯村 悟 会員

メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp

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