(2014)平成2685日 No3073回 20142015年度(6会報)

会員数 99名 出席者70名 出席率76.1 前回修正率 78.7

MU会員 荻山猛彦会員(宇都宮北RC)

 

ビジター紹介(親睦活動委員会 矢治和之副委員長)

 野口育男様(仙台南ロータリークラブ)

 新見徹様 (宇都宮90ロータリークラブ)

 綱川榮様 (ゲストスピーカー) 沼尾歩様(下野新聞)

 

会長挨拶(大塚秋二郎会長)

 本日は、第一例会で理事会が開催されました。いくつか決議事項をご報告申し上げます。第1、宇都宮ロータリークラブ細則について改訂の承認が理事会で行われました。藤井前年度から細則改訂の為の特別委員会が数回にわたり行われました。改訂の主旨は、手続要覧が2013年に行われまして現行の細則を合わせるのがまず一点です。同時に委員会の内容を柔軟に変えられないかという事も議案の中にありました。それに関しても改訂されています。具体的内容につきましては、今週中に会員の皆様方にファックスで送らせて頂きます。改訂の承認を得る10日前までに文書・書面で配布するという事に決められております。枚数で5・6枚になるかと思います。来週の例会は休会、再来週は夜間例会となっております。承認の手続きに関しましては、8月の最終例会に皆様にお伺いしたいと思っておりますので、宜しくお願い致します。定数がございますので、皆様のご出席をお願いします。

 続きまして、一年交換留学生の件です。アメリカ・フロリダ州からバネッサ・パークフォールドさんという学生さんを、宇都宮ロータリークラブでおあずかりする事になっております。ホストファミリーとしての受入れ協議が8月3日に行われまして、熊本さんご夫妻、幹事に出席して頂きました。バネッサさんは、8月24日(日)成田に到着されます。その後の例会で、皆様にご紹介できると思いますので、よろしくお願い致します。熊本さんの後のホストファミリーのご協力についても、皆様にご協力をお願いしたいと思いますので、よろしくお願いします。

 次に、社会奉仕委員会に提出しておりました「さんまプロジェクト」に対する地区補助金の申請が通りました。大変嬉しい事です。今年度は、30万円近くの補助金がおりるという事です。これも皆様のご協力のお陰です。今迄のご努力の結果と感じております。

 暑い折、皆様体調には十分ご自愛の程お願いします。以上です。

 

誕生祝(親睦活動委員会 矢治和之副委員長)

 斎藤高蔵会員 関戸優 会員 佐藤行正会員 斎藤謙治会員 酒井誠会員 三原靖会員 

善林隆充幹事 矢治和之会員 新井将能会員

奥様誕生祝(親睦活動委員会 矢治和之副委員長)

田ア直子様 板倉美幸様 針谷淳子様 斎藤奈津美様 粟飯原由紀様 矢治あつ子様 

木下みさ子様 林枝美子様 毛塚明美様 稲野厚子様 金子順子様

 

幹事報告(善林隆充幹事)

 本日理事会がありました。会長からも報告がありまして、繰返しになりますが細則が決定しました。細則を、今週中に皆さんにファックスをお送り致します。ご意見のある方は、私幹事にご一報下さい。8月26日の例会でご承認を頂きますので、ご出席の程よろしくお願い致します。

地区補助金が決定しまして、さんま焼きを今年も継続事業と想定しております。さんま代

3000匹位、頂けるのかな?と思っております。

 ロータリー囲碁同好会のご案内がきております。第13回ロータリー全国囲碁大会が10月11日東京の市谷で行われます。ご希望の方は是非ご参加を頂ければと思います。

 来週の例会は、お休みです。8月19日は、夜間例会です。是非ご出席をお願い致します。

 8月のロータリーレートは102円です。

 

青少年奉仕委員会(斎藤幸一委員長)

 一年交換留学生プログラムの募集が来ております。こちらから海外に行くプログラムです。皆様の娘さんやお孫さん、又お知り合いの方がいらっしゃいましたら、宜しくお願い致します。

 8月9日(土)インターアクト年次大会に行って参ります。生徒たちの持っている力を最大限発揮できる様、応援をして参りますのでよろしくお願い致します。

 

ニコニコボックス委員会(久楽晋司副委員長)

 誕生祝:斎藤高蔵会員 関戸優会員 酒井誠会員 三原靖会員 善林隆充幹事

 矢治和之会員

 奥様誕生祝:毛塚武久会員 粟飯原悟会員 木下恒彦会員 斎藤幸一会員 田ア秀穂会員

       矢治和之会員 稲野秀孝会員

 GHJテーブルミーティング残金:

 Dテーブルミーティング残金:

 

プログラム紹介(プログラム委員会 大矢裕啓委員長)

 先週、伊原修会員に卓話を頂きました。腹の座った卓話をおさめて頂き、良いお話をありがとうございました。本日は、下野新聞社 綱川榮様にお越し頂いております。本日のスピーカーの紹介は、当委員会観堂副委員長よりさせて頂きますので、宜しくお願い致します。

 

観堂義憲プログラム副委員長

 今日の卓話は、私共下野新聞特別編集委員の綱川榮記者によります日光東照宮400年式年大祭の話です。テーブルの上にパンフレットを置いております。国際協力機構JICAが行っています青年海外協力隊のPRです。青年海外協力隊は、常時100ヶ国から120ヶ国位2000人の若者が派遣されています。昨年、新しいシステムが出来ました。民間連携ボランティア制度が出来ました。企業ベースです。1年間社員が海外に行くと、その間の給料・ボーナスの8割をJICAが補てんします。往復の交通費は勿論、全額出してくれます。その他もろもろJICAが面倒見ます。危険手当もJICAが面倒を見て、企業に手厚いシステムになっています。この一年間、日本で手を挙げた企業は、53社あります。大企業が17社、中小企業が38社です。目下、栃木の企業はゼロです。皆さん方でこれを利用しようと思われた方がおられましたら、宜しくお願い致します。

 本日の卓話者綱川榮記者は、1980年入社、今年の4月まで論説委員長をやっておりました。入社してから小山支局長、鹿沼支局長をしまして政治経済部のデスク、東京報道部キャップ、政経部長、報道センター長等をやり論説委員長になりました。アシスタントを務めます沼尾記者は、この春まで3年間日光支局におりまして、日光につきましては「歩く生き字引」といわれ日光については何でも知っている記者です。この二人が中心になりまして、この秋から下野新聞で東照宮及び日光二社一寺に関する大年祭が始まります。来年が400年式年祭で、2016年は家康公が鎮座してから400年という事で2年間にわたって年祭を続けるという思い切った試みを、この二人にまかせたいと思います。

 

卓話「日光東照宮400年式年大祭」

               渇コ野新聞社 特別編集委員 綱川榮様

 下野新聞の綱川です。今日はこの様な席でお話をさせて頂き大変光栄です。ありがとうございます。それでは、お話をさせて頂きます。

 今観堂社長から400年式年祭と鎮座の大祭その他日光開山1250年という事で、2016年には勝道上人の1200回忌もスケジュール的には入ってございます。この様なスケジュールが、日光に待っているという事でございます。400年式年祭というには、徳川家康が亡くなって

400回忌とプラス1年になるという事で2015年に始まります。2016年には明神神様になって日光に鎮座し400年、そのような事で鎮座の大祭が行われるという事です。あわせて、

2016年には勝道上人の開山、これは四本竜寺といいまして日光の右側の入り口で、そこにやって来たのが1250年前です。こちらの地図をご覧ください。2枚配った中で神橋〜滝尾神社コースという資料が有ると思います。そちらの一番右側に緑で丸をつけておきましたのが、本宮でございます。そちらに四本竜寺というお寺を建ててから1250年という意味です。これは、皆さんご存知の日光東照宮です。東門といわれて知らない人はいないと思いますが、これが家康廟大猷院です。これが、実は2代将軍秀忠が建てた東照宮です。群馬県太田市世良田にございます。実は家光が、この東照宮では寂しいと云ったかどうか知りませんが、どうしてもおじいちゃんの為に凄い東照宮を建てたいという事で、こういった立派な今のお金に換算すると400億円以上かかっている神社を建てたのです。それで400年前に新しい神様がやってきました。日光は、勝道上人の開山という事で766年にやって来たとお話をしましたが、この開山の歴史に加えて大きくかけると3つ位に細分化されます。古代中世と徳川時代と明治維新以降とに、大きく3つ時代が分けられます。

古代中世という所では、814年弘法大師が一二三を書きます。歴山水宝玄珠碑といいますが、これを弘法大師が書き日光に残っています。これが根拠で勝道上人がいた事が分かりました。その後820年に弘法大師が来たのではないかと云う伝説があって、滝尾権現勧請された訳です。この地図の左の方に滝尾が有ります。滝尾古道と云う道を行きますと、弘法大師が滝尾神社を勧請するという歴史があります。その次に848年円仁が来たという伝説があります。これが今の輪王寺の歴史の中に空海・最澄と天台の話と両方が入ってきているという事です。1185年に源頼朝が三味田を寄進するという事で、ここに円仁の影響力が入ってきます。鎌倉とのネットワークが、日光にも築かれるという事です。1590年秀吉が後北条氏を日光の僧弁覚と一緒になって、後北条氏の味方をしたので秀吉が怒り日光の所領を取り上げたのです。500もあったお寺が9になりました。かなりひどい状態になりました。そこへやって来たのが天海です。日光で貫主になって家康の遺骸が1617年日光に来ました。秀忠が最初の東照社を作りました。1636年、家康が東照宮の大造替をしました。1617年に東照宮は一度建っているのですが、1636年にもう一度きらびやかな、ドイツ人の建築家ブルーノ・タウトがちょっと批判をしておりましたが、きらびやかな我々からすれば誇りに思う様な建物が出来たという事です。日光は戊辰戦争で焼け出されそうになるのですが、板垣退助のお陰で逃れました。1871年に神仏分離で二社一寺になり又日光山という一つの山が新しい歴史を築き上げてきたのです。これは日光の二荒山神社です。これは滝尾神社の楼門です。これは31番目の滝尾神社楼門です。これは本宮です。日光を一言でいえば、神仏集合の山です。神様がいて仏様がいて色々な神仏集合、これはさかのぼること、聖武天皇が東大寺に舎利仏を建てようという事で、全国に国分寺を作るのですが、政策的に神様だけでは無くて仏様と同じ思想を打ち出しました。伊勢神宮に御卿を使わして、天照と大日如来を同体という事を伝えたという事です。言ってみれば、当時かなり政情不安とか病気が流行り、それを鎮めるために神様の力だけでは無く仏様の力にも頼ったという事で本地垂迹という考えが始まります。いずれにしても一山の歴史で日光がありますが、他の所も神様と仏様は一緒でした。神仏分離は、明治維新になって出てきて色々な現象が起こって参ります。例えば、足利氏は足利出身で源氏足利義兼と云う人物は2代目です。一昨年足利尊氏展が有りました。大日如来が、運慶作といわれ12億8千万円もするものがアメリカに流出されニューヨークで出品されました。それを真如苑の方で、競りで買い戻したという歴史がありました。何でも神様と仏様を分けた事で色々な現象が出て来ているという事です。日光の二荒山神社は、3つの神・山神大権現、例えば男体山のご神体大己貴命は、この地図でいえば二荒山神社の神宮ですね。そこの千手観音ですが、千手といえば新宮です。それで真ん中の阿弥陀如来は、滝尾神社の本所仏です。本宮は、一番右側にありました神社です。馬頭観音が本所仏で味耜高彦根命が祭祀になっております。これが本宮です。本宮神社の後ろの本殿は、こうなっております。これは、源実朝が亡くなった時の供養塔として建てた三重の塔がこれです。これは、四本竜寺の親戚です。これが原点といわれています。そういう場所がございます。ここは、先程の滝尾古道です。ずっと歩いて行くと、ここに運試しの鳥居があり、ここに3回石を投げて一回入れば、幸運になるという伝説があります。滝尾古道拝殿、これが子種石です。行者堂といいます。

仏様の話をします。これは輪王寺の横にある、歴史的に云えば昔の輪王寺の前は鎌倉時代、光明寺、平安時代は万願寺といって、大きな意味ではこういうものがあったと。これは常行堂です。お寺の中心です。常行堂とか光明院は、元々は日光の東照宮の敷地にこの2つの施設があったのですが、新しい神様が入って来たことで、ちょっと左にどきました。家康が亡くなったのが1616年4月17日です。その半月前に天海と本多正純と金地院崇伝、この側近の3名を呼んで指令を伝えます。いわゆる遺言です。久能山に葬り、葬儀は増上寺で行い三河の大樹寺に位牌をおさめて、一周忌が過ぎてから下野の日光に小さきお堂をたて勧請せよと。久能山は、駿河城の本丸だという表現を久能山の宮司がおしゃっていました。家康さんにとっては、見晴らしの良い所で過ごしたいなと思ったのかもしれません。葬儀の増上寺というのは、宗教上家康の菩提寺、一周忌を過ぎてから日光山にたてたいという事ですが、何で日光なのかという話に今回取材していて色々理由があるのでしょうが、良く分からないという事です。只日光山は、素晴らしい地域だという事は分かりました。日光に新しい神が入って来て祭神が増えました。東照大権現・薬師如来が本陣ですが、その代りの神様として東照大権現として祭られています。山王権現は、天台の仏様ですが、釈迦如来が本陣でして山王権現になります。阿弥陀如来の祭神は、新しいという事です。こういう事を作ったのは、天海さんがコーディネイトで段取りを整えて来ました。

下野の話をします。元々、毛野国と申しまして日光山の輪王寺氏の末裔の所に勝道上人が入って来ました。毛野氏を名乗ります。上毛野国造(かみつけのくにのみやつこ)とか、下毛野国造(しもつけのくにのみやつこ)とか存在は、分かっています。かみつけの方は後に、上野の国になり明治維新からは群馬県と云う形になりました。栃木県は下毛野国造(しもつけのくにのみやつこ)、そして那須国造(なすのくにのみやっこ)と云う存在が分かって、これが700年頃までに一緒になって下野国・那須郡・やがて明治維新に栃木県となります。下野と那須の国が何でこんな風にはっきりわかるのという事ですが、栃木県の国宝の1つ大田原に那須国造碑というのがあります。歴史的に評価は高いという事です。ちなみに栃木県とか下野の国(しもつけのくに)とか上野の国(こうづけのくに)は、だいたい出来て1300年前後ですが713年に好字二字令というのが出て、ハッキリしませんが、その5〇年前からしもつけの国と名乗っていたという話もありハッキリしません。大体1300年前にしもつけが出来たのではないかと。二荒山神社の助川宮司さんがいらっしゃるのですが、助川さんの神社の碑があります。二荒山神社という事で日光と宇都宮でずっと長い間どちらが本流かという事で議論しておりまして、明治維新の時に宇都宮は国の国幣中社でした。延喜の格式があり、その中で国幣中社から国幣県社に格下げされました。それをきっかけに宇都宮で巻き返しの運動がありまして、前の戸田さん達で明治13年国幣中社に戻ってきました。宇都宮二荒神社は、下野の第一の宮だと。一の宮だと。先程の日光二荒山神社も、下野の国の一の宮だ。両方も一の宮という事で主張されています。二荒山神社は、宇都宮とみるのが妥当だと雨宮ギシンさんが、言っています。宇都宮は、日光と別という様に表現されています。日光二荒山神社は、祖先崇拝ではなくて山岳信仰だという事を暗示しています。弁覚さんは、宇都宮を意識するより遥に広く比叡山とか園城寺とか熊野山とか彼が修行してきた宗教を意識してきたので日光が一の宮ですよ、とおっしゃっていました。いづれにしても日光の取材我々で2割程度ですが、奥が深くてどこを切っても色々な話が出て来て大変です。中村彰彦さんが「二つの山河」という本で直木賞をもらっていますが、栃木県は今一つ史跡保存にかける熱意がたりないな!とおっしゃっています。静岡県が愛知県と組んで静岡市・浜松市・岡崎市の市の商工会議所等と一緒に徳川家康没後400年の事業をやっています。未来学会という歴史の学会を作っています。栃木県も日光の歴史の深さと宇都宮の歴史の深さで1枚岩となって歴史的資源をもっと活用できればいいなと思っています。ご清聴をありがとうございました。

 

会長謝辞(大塚秋二郎会長)

 綱川さん、今日はどうも有難うございました。外国の方とお話しますと「どこに住んでいますか?」と聞かれます。「栃木県宇都宮」といっても殆ど認識してもらえません。「東京の北で、日光が近くにあります」と云うと「ああ〜」といわれます。日光と云うのは、発音しやすい事もあるでしょが大変有名な所です。今日は詳細な解説で、これからシリーズで新聞でも載せていくという事ですので、期待して拝読させさせて頂きたいと思います。

今日は、どうも有り難うございました。

 

--------今日のメニュー-------

幕の内弁当

 お造り (鮪・カンパチ・鯛)

 牛肉ステーキおろしポン酢 サラダ

   煮物(大根・里芋・いんげん)

   海老 麩 茄子 

   ゆかりご飯 香の物 味噌汁

 

 

 

 

 

 

 

2014-2015年度 卓話

【8月】

  5日 「日光東照宮 400年式年大祭」 

     綱川榮様      渇コ野新聞社 特別編集委員

 12日 クラブ特別休会

 19日 卓話なし。 親睦移動例会のため。

 26日 「21世紀生まれの子どもたちの素顔」身につけさせておきたい事

     上澤久子様      宇都宮市立戸祭小学校 校長

 

会報委員 飯村  悟  会員

写  真 菊池 太志 会員

メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp

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