(2015)平成27224日 No3098回 20142015年度(31会報)

会員数 102名 出席者61名 出席率67.8% 

 

ビジター紹介(親睦活動委員会 金子昌郎委員長)

 大場俊一様(ゲストスピーカー)

 

会長挨拶(大塚秋二郎会長)

 風邪の方は一旦治ったのですが、昨日から鼻声になりました。これは風邪では無く花粉が飛び始めたようで、花粉症の鼻声になったようです。私の年度の「ラブ ライフ・ラブ ロータリー」と云う言葉を頂戴したこの方は、片山豊さんといいましてアメリカ人から「ミスターK」と呼ばれた方です。日産自動車のフェアレディ―Zと云うスーポーツカ―の生みの親といわれている方です。今年105歳でしたが、先日亡くなられまして明日が密葬です。私の言葉を頂いた方なので、ご冥福をお祈りさせて頂きます。非常に頭脳明晰な方でした。人間100歳を越えますと多少ボケの気が出て来たり体が動かなくなったりする方が多いのですが、片山豊さんは105歳でも全く当てはまらない方でした。昨年4月にお会いして激励を頂きましたが、それが最後となりました。以上です。

 

ニコニコボックス委員会(久楽晋司委員)

 誕生祝:粟飯原悟会員

 結婚祝:粟飯原悟会員 

 奥様誕生祝:上野泰男会員 

 C・Hテーブルミーティング残金

 Dテーブルミーティング残金

 

プログラム紹介(大矢裕啓委員長)

 皆様、こんにちは。今日は「東日本大震災支援チャリティーコンサートを終えて」と云う題目で、大場俊一先生からお話を頂きます。我々と同じく気仙沼の支援をされているという事です。我々はトラックを送り又サンマを焼いて支援をしましたが、大場先生は音楽のチャリティーコンサートを通じて支援をしたという事です。我々の今後の参考にならないかと思い、本日に至りました。大場先生の奥様が宇都宮市教育委員会委員長をされています。そちらの方からお話の依頼をしたところ、今回ご快諾を頂きました。大場先生は、東京都ご出身です。1984年より宇都宮にお住まいです。埼玉大学名誉教授でいらっしゃいます。1965年東京藝術大学音楽学部楽理科卒業、在学中に安宅賞を受賞されています。1968年旧西ドイツ・デトモルト音楽大学に留学、2008年にNHKと毎日新聞社主催の「日本音楽コンクール」の審査員を務めました。2011年〜2013年に5回に亘るモーツアルトピアノソナタ連続演奏会を行いました。2012年日本音楽表現学会に於いて「モーツアルトのピアノ曲の演奏法」についての講演と演奏を行いました。現在、埼玉大学名誉教授・東京藝術大学同声会栃木県支部会長です。大場先生にお願いをして、お正月にバイオリンニストの鶴野さんにも来て頂きました。宜しくお願い致します。

 

卓話「東日本大震災支援チャリティーコンサートを終えて

               埼玉大学 名誉教授 大場俊一 様

ピアニストの仕事・条件

 

ロータリークラブの卓話会にお呼び戴き光栄でございます。実は、私の父も昭和30年代の

初めころ、宇都宮のロータリークラブに属していたはずなのです。当時、単身赴任で旧日本勧業銀行 今のみずほ銀行に支店長として勤務しておりました。なにか懐かしい気がします。

 

私の職業はピアニストですというと、え!どのように、何をして生活をしているかという疑問をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。まさか、雲と霞の仙人生活をしているわけではありません。実際、毎年何千人と音楽大学生が卒業していくなかで、演奏だけで食べていける人はほとんどいません。教職を選ぶ人、せっかく技術を磨いたのにやむなく他の職業に就く人、様々です。それでも、放送・出版関係で少しでも音楽に関われる仕事に就く人は幸せだと思います。

幸い、私には教職の仕事が与えられ、そのお蔭で一応生活できるうえに、いまだに大好きな音楽演奏に打ち込んでいる毎日です。

例えば、企業ですと利潤追求が目的となりますが、私の場合、利潤よりはどうしたらピアノという楽器を通していかに音楽の素晴らしさを伝えられるかのほうが、ずっと切実な問題なのです。

さて、ピアノを弾くということに皆様はどういうイメージをお持ちでしょうか。

音楽が大好きで、音楽的感覚に優れていて楽譜に沿って自由に指を動かし、感性に従って演奏するというようなことを思い浮かべると思います。自分で楽しむためだけでしたらそれもいいでしょう。しかし、非常な緊張のなか人前で披露するためにはそれだけでは十分ではありません。同じフレーズを何百回も練習する集中力・持続力が必要です。これには佐藤市長もおっしゃっている「我慢する力」も加わります。

音楽書を読み、他人の演奏を聴いて自己を高めるための研究活動も必須です。一般的に考えられているよりずっと思考力・構成力が必要となります。しかし、一番の根本は、いつも仲間としゃべっていることですが、健康で体力があることに尽きます。

 

自分のこと

 

小さい時から、音の出るものに非常に興味がありました。例えば、線路に耳をつけて電車が近づいてくるのを聞いて両親から大目玉を食ったり、車両によってレールの継ぎ目を通過するする音が違うのをじっと聴いていたり、友達の家に遊びに行くときは、オルガンのある家にいって、オルガンばかりとコミュニケーションをとっていた子供時代でした。

ということはもうお分かりと思いますが、その当時家にはピアノはおろかオルガンもありませんでした。戦後の混乱のなかで父は転勤を重ね、私は小学校を6校通いました。従ってピアノなど落ち着いて習える環境にはありませんでした。やっと岩手県の盛岡に支店長として赴任した折ピアノを始めました。13歳になっていました。考えられないほど遅い

始まりでしたが必死に勉強し、高校に入ると、急に音楽に目覚めどうしても音楽大学に入りたいと思うようになりました。親に伝えると、案の定大反対でしたが、ある人に「好きな道は回り道してでも必ず戻ってくる」といわれ、それからは全面的にバックアップしてくれました。

その後音楽大学を卒業し、旧西ドイツに留学して更に勉強をつづけました。日本に戻ってから演奏に従事し、しばらくして教職に就くこととなりました。

30年前、1984年(昭和59年)に宇都宮に引っ越し、浦和にある大学に通勤しながら演奏活動を行っておりましたが、活動はほとんど東京に限られていました。そうこうするうち、こちらでの交友ネットワークも少しずつ拡がり、宇都宮で演奏する機会が増えてきました。

私の属している音楽ジャンルはいわゆる「クラシック」というジャンルです。このジャンルで利潤追求は、よほどメディアに出ている人を除いて、ほとんど不可能です。今まで個人的に行ってきた演奏会はすべて赤字です。それを覚悟してやっていますので、何ともありません。それほど私にとってクラシックの音楽は魅力があるということになります。そして、先ほども申しましたが、私の思いはもっとピアノが上手に弾けるようになりたい、このことだけなのです。

 

コンサートのきっかけ

 

さてこの度、お手元にあるプログラムの通りチャリティーコンサートをしようと思ったきっかけは、いくつかあります。

1.人々の記憶から遠ざかりつつある東日本大震災から3年以上経ち、もう一度見つめ直す

必要があるのではないかと思ったことが一つ。

2.NHKなどの義捐金受付窓口が閉鎖されたと聞いたこと。

3.盛岡の高校の同期生が被災していること。

このきっかけを基にコンサートをどういう形にするのがいいか模索をしました。

被災地に行って、そこで励ましのコンサートをすることは、お客さんを集めたり、会場の設営等地元の人にものすごい負担をかけることになると聞いたことがあるので、これは止めようと思いました。

 

気仙沼訪問

 

そうなると宇都宮でのコンサートを行うというコンセプトの元、支援地域をどこにするか絞ることにしました。いろいろ調べてみると、宇都宮と気仙沼の関係が深いことが分かりました。もともと、現地に赴き直接話を伺いたいと思っていましたので、仲介の労を取ってくれた方より現地で復興支援をしている人を紹介してもらいました。

昨年の夏86日の暑い日、妻と2人で朝7時前の新幹線に乗り岩手県の一ノ関へ。そこから大船渡線に乗り換えて東へ約1時間半、県境を越えて宮城県三陸海岸の気仙沼に到着しました。復興の仕事に携わっているS氏はご自身も被災者で、危うく津波に飲み込まれるところだったと話してくれました。そこは気仙沼湾のいちばん奥にある鹿折唐桑というところで、重油タンクが十数基流れ着き、火災が10日間続いたところです。写真をご覧になった方もいらっしゃると思います。船は数か月前に撤去されたということでしたが、今は「嵩上げ」の工事中で、ダンプカーが暑い中、砂埃をたてながら走り回っていました。

S氏のお店・事務所は仮設店舗が何軒か集まっているところにあり、かれが復興の代表者です。

かれが言うのには、近くにある鹿折小学校の学童保育施設に、埼玉県からピアノの寄付があったのだけれども、ピアノをトラックで運んできたのでがたついているし、調律をする費用を捻出できないということを聞いて、早速歩いて10分程のところにある施設を見に行きました。ピアノを見ると、なるほど!かれが言った通りだと思いました。

また、S氏からはこういう話も聞きました。

道一本はさんで、被害を受けた子供と被害が皆無だった子供の間に、コミュニケーションの微妙な差がある。一方は仮設生活で、一方は自宅生活。例えば、仮設住宅の広場で両方の子供たちが一緒に遊ぶことができない決まりになっている。なんとか、子どもたちが一緒に遊べるスペースをつくりたい。

また、夜になるとこの辺りには街灯がなく危険な上不便である。こども達のためにその設備もほしいと訴えていました。

帰り際に、12月にチャリティーコンサートをするので純益金をお持ちしますとお約束をいたしました。あまり反応がなかったのですが、ひょっとしてこういうパターンは初めてだったのかも知れません。

プログラムの表紙の写真は、すぐ近くにある安婆山に登って撮った気仙沼の町です。

タクシーの運転手さんが大きな仮設住宅を見ていって下さい!といったので、連れて行ってもらいました。

町から西に県境の方に数キロ入った市営の野球場のグラウンドにできた巨大な仮設住宅群でした。えもいわれぬ感情の大きな渦に巻き込まれ、立ち去るしかすべはありませんでした。色々な思いを胸にその夜宇都宮に帰りました。

 

コンサートの準備

 

自分たちにとって、理想的なチャリティーコンサートの在り方とは何か?を把握するため、他の人たちはどうしているのかな?と思い調べ始めました。するといくつかのパターンがあることが分かりました。

1つ目は、寄付金獲得が完全に第1義になってしまい、演奏の質は2の次のパターン。

2つ目は、いくつかの演奏団体が賑やかに演奏する寄り集まりのパターン。

しかし私たちは、プロの演奏家として1つ柱が通っているプログラムを展開したいと思い、丁度昨年生誕150周年を迎えたドイツの作曲家リヒャルト・シュトラウスの作品を演奏しようではないかということになりました。

同じシュトラウスとはいえ、耳に心地よいワルツ王ヨハン・シュトラウスとは違い、後期ロマン派の濃厚な旋律と和声にいろどられたリヒャルト・シュトラウスの音楽は、たとえ記念の年とはいえ、全国的にもあまり演奏されていません。しかし、これら珠玉の名曲を是非宇都宮の人たちにも聴いて戴きたいという強い思いでこのコンサートを決定しました。

 

演奏会1つするといっても、ただそこへ行って演奏すればいいだけではありません。

会場をとり、日時を決定し、更にチラシ・プログラムの作成、チケットの販売、各機関への宣伝依頼、会館との細かい打ち合わせ等全部自分でやらなくてはなりません。出演者各人へ演奏の依頼をし、主旨を理解してもらいました。勿論出演料無料です。経費節約のため、勢い仕事量が増えます。自分だけの練習と合わせの練習をこれでもか、これでもかと綿密に準備する日々が何か月も続きます。

 

演奏会当日

 

そうこうしているうちに、当日になりました。舞台裏で待っていますと、係りの人がお客さん一杯です!というのを聞いて、勿論うれしかったのですが、その一方それを通り越して不安になりました。どうしてかと申しますと、私の演奏会ではありませんが過去に切符の売りすぎでお客さんが溢れ、座れないお客さんを目の当たりにしたことがあったからです。後で調べてみますと、450人収容のところ300人入ったということが分かりました。不思議に思う方もいらっしゃると思いますが、会場は6割入れば満席に見えるというのが通念です。

曲の演奏時間は90分(1時間30分)これにお話し、休憩を入れて2時間に納めなければなりません。そのため、タイムスケジュールは綿密に作ります。作成したタイムテーブルを係りの人に渡してスムーズに進行するようお願いします。それも仕事のうちです。

緊張の時間が過ぎ、演奏会は終了します。

沢山入って盛会でしたね!といわれるのに加え、私にとって演奏の質はどうだったか?が大問題です。完璧ということはないので、まあまあの出来かな?と思えるくらいがいい演奏ができた目安です。

ミスのない演奏が前提になるのは確かですが、わたしが意図した、やろうとしたことがお客さんにどう通じたか?非常に緊張するところです。

普段ですと、招待券をお出しする人にもチャリティーということでチケットお願いをいたしました。さまざまな反応がありました。自分は行けないが寄付のつもりで買わせて戴きました、ですとかあるいはまとめてチケットを購入して下さった方もいらっしゃいました。

どちらの例も非常にありがたく、人の心の温かさを感じました。また、ある新聞社の方は選挙報道で忙しく伺えないとわざわざお電話を下さいました。

 

演奏会を終えて

 

さて、演奏会を終えて数日後、S氏に電話してコンサートが終わったので、純益金をもって

伺いたいと申しましたら、初めこちらが誰だかわからないようでした。どうも、本気にしていなかったのかとも思いましたが、普段から寄付のオファーがたくさんありとっさに分からなかったのかもしれません。

1224日、8月の時と同じ電車で今度は一人気仙沼に参りました。県境を越え気仙沼に入ると、それまでの雪がみぞれに変わっていました。今回は気仙沼の駅からBRTといって鉄道の軌道を道路にしてバスを走らせるシステムがあり、それに乗って1つ目の鹿折唐桑駅で降り、相変わらずダンプの通る道をみぞれの中10分ほど歩いてS氏に会いに行きました。

純益金310.000円をお渡しするとこんなにいただいてもいいのですか?といわれました。きっと予想外だったのかな!と思いました。そして、毎年はこういうことはできないかもしれないが、いつも気仙沼のことは心に留めておきますといってS氏と別れました。

行きと同じルートでBRTに乗って気仙沼に戻り、その日のうちに宇都宮に帰ってきました。寒風にさらされながらみぞれのなかを歩いたので、疲れ切ってしまい家に帰ってどっと倒れ込みました。

演奏会の準備や練習で本当に大変な思いをしましたが、それにも増してたくさんの方が応援をしてくださいました。人間の温かい心に触れ、また大好きな音楽でお役に立つことができ、チャリティーコンサートを企画してよかったなとつくづく思うこの頃です。

それでは、残りの時間DVDではじめのあたりを少しご覧ください。

ご静聴ありがとうございました。

 

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【今日の料理】

豚ロースかつ デミグラスソース

 ライス スープ サラダ コーヒー

 

 

 

 

 

 

 

 

2014-2015年度 卓話

20152月】

2月24日 「東日本大震災支援チャリティーコンサートを終えて」

       大場俊一様        埼玉大学 名誉教授

20153月】

 3月 3日「宇都宮の文化 火焔太鼓山車の復活から」

       藤原宏史様        ()藤原設計事務所 代表取締役所長

 3月10日「これからの企業の在り方〜公益資本主義とは〜」

       藤岡俊雄様        潟Vーエフエス 代表取締役

 3月17日「学校給食について」

       君島修様         宇都宮市教育委員会 学校健康課長

 3月24日「福島空港の利用促進について」

       五十嵐様 塩見様     福島県商工労働部

 3月31日 

会報委員 飯村  悟  会員

写  真 畑  剛司 会員

メールアドレス:u-rc01@silver.plala.or.jp

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